<ドラマチュノ チャンヒョク>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア
177.ノビ奴婢노비
 
 
 
KBSワールドで目下放映中、
配信サービスでもリリース中のドラマ
「チュノ推奴」、今週15話を数え、折り返しに入って居ますが、
私が度々世界の片隅から叫んで居る様に(笑)、聞きしに勝る面白さです。
 
↓↓↓何度か記事を書きました↓↓
1回目
 
2回目

 

3回目

『282.このドラマは必見?(韓国ドラマ チュノ推奴❸)』82.推奴チュノ❸チュノ推奴とっても面白いです。未だ未視聴の方、この機会に是非ご覧になって下さい!と、「世界の最果てから愛を叫ぶ」私ですが、最近どんなドラマで…リンクameblo.jp

 

逃亡した奴婢を捕まえる「チュノ推奴」
それを利用する支配者と反逆を企てる奴婢の三つ巴(どもえ)を描く重々しいドラマですが、
その時代を真剣に描いており、考証も抜群で、下層民の生活を写実的に描いており、テンポも良くそそられます。
 
 
今週は主人に弄ばれ、親から引き離され売られて行く奴婢の娘を描き、奴婢の悲惨な身の上を描きました。
この様な階級性は、社会主義を標榜する共和国の映画と見間違う程だと、以前にも述べました。
 
ドラマにちなみ、今回は我が国のノビ奴婢制度を取り上げたいと思います。
話しは膨大ですが、かいつまんで述べます。
 
奴婢制度は我が国で、古朝鮮の時代から三国・高麗時代を経て朝鮮王朝末期まで3千年近く粘り強く続いて来た、隷属制度でした。
 
<ドラマで 奴婢>
 
元々「ノビ奴婢」は男性であるノ奴と女性のピ婢を合わせた言葉です。
古朝鮮の法律「犯禁8条」に既に奴婢の名前が見えますが、他人の物を盗んだ者は奴婢とすると有ります。
主に戦争捕虜、犯罪などにより奴婢にされた事が分かります。
 
後期新羅時代の695年、西原京(今の清州近く)の4つの集落を調査した新羅村落文書が東大寺正倉院で発見されましたが、460人の人口のうち、28人が奴婢で有ると記録されています。
ここでは奴婢の比率が6%余りで有った事が分かります。
 
<新羅村落文書>
 
高麗時代に奴婢は国家の奴婢で有る「公奴婢」と民間の「私奴婢」が明確になり、彼らの役割もハッキリして来ます。
 
奴婢が外に居住して労働の対価を払う「納貢奴婢(外居奴婢)」と、所有者の邸宅に居住して直接労働を行う「立役奴婢(率居奴婢)」に分化しました。
 
12世紀以降、農荘の広範な発展により、労働力としての奴婢の存在が不可欠となりました。
この様な要請に、奴婢に対する国家的な対処が要求され、高麗政府は「奴婢按檢法」「奴婢喚賎法」「賤者隨母法」など、奴婢の身分を管理する法律を施行し、奴婢の身分を国家がコントロールしようと試みました。
 
   <ドラマ イニョプの道>
 
基本的に国家の拘束を受けぬ私有財産で有る「私奴婢」を増やそうとする貴族(後の両班)と、それを国家支配の為に極力抑制しようとする国家とのせめぎ合いだったと言えます。
 
朝鮮王朝時代に入り、その作業は本格化し、私奴婢を整理し、不法に奴婢化された良民を免賎する、逆に逃亡して自由人になりすます奴婢を還賎する為の訴訟を専門に扱う機関、「チャンイェウォン掌隸院」が登場します。
「チャンイェウォン掌隸院」は奴婢の訴訟業務を主務する官庁でした。
 
<チャンイェウォン跡>
 
朝鮮の司法機関刑曹、義禁府、司憲府と漢城府でした。
一般の民事と刑事訴訟は刑曹で、
官吏と両班は義禁府、再審は司憲府
土地と家屋に関連する民事訴訟は漢城府で主に扱いました。
 
奴婢は、人では無く動物や物として売買・相続・贈与が可能だったので、司法機関ではなく「チャンイェウォン掌隸院」が担当したのです。
中国も廃止した「奴婢制」維持の為の機関でした。
 
奴婢訴訟の証拠資料である戸籍は3年ごとに更新しました。
全国の各戸は父、祖父、祖父、曽祖父などを記載した戸籍単子を官衙に提出し、官衙では保管されている戸籍と照らし合わせて変動を記載した後、返還しました。
 
<奴婢文書>
 
個人が保管している戸口単子と、官衙が所蔵して居る戸籍が身分確認の基本データでした。
すべての奴婢の記録は「掌隸院」の賤籍に記載され、厳密に管理されました。
 
研究によると、15〜17世紀の朝鮮の人口900万〜1200万人の内、奴婢の割合は30〜40%270万〜480万人位と推定される為、奴婢文書を保管した「掌隸院」倉庫の規模は膨大でした。
 
朝鮮王朝時代の訴訟は大きく、『奴婢訴訟』と先祖の墓をめぐる『サンソン山訟』に分けられ、特に奴婢訴訟は熾烈でした。
殆ど、奴婢が良民に免賎しようとする訴訟でしたが、その訴訟が如何に熾烈だったかは実例として、1400年代の100年間に「朝鮮王朝実録」に記載された奴婢訴訟件数が600件を超えて居る事からも伺えます。
その決定を訴える民願も絶えず、国家の手に負えない程でした。
 
 
一般的に、朝鮮王朝時代の身分制度は『パンサン班常制』(両班と常民)あるいは『リャンチョン良賎制』(良民と賎民)と呼ばれます。
 
実際には王室- 文班- 武班- 中人 - 良民- 賎民の6等級制でした。
他に庶子(ソオル庶孼)と言う、両班+良民の子(庶)、両班+賎民の子(孼)と言う身分も存在しました。
 
更に、賎民は八賤として
①奴婢・②妓生・③白丁ペクチョン・広大クァンデ(芸人)・工匠コンジャン(鍛冶屋・陶器匠)・僧侶・巫女・喪輿サンヨクンなどでした。
 
賎民、特に奴婢は厳格に管理され、奴婢が逃げた場合、とことん追い掛け、逃げた奴婢を捕まえました。
先のKBSドラマ「チュノ」からも分かる様に、実際奴婢が逃げて、これを捕獲する事が頻繁だったと言います。
朝鮮前期の有名な宰相ハンミョンフェが、「逃亡奴婢が100万人」と言った記録も残ります。
 
<妓生も賎民>
 
では朝鮮王朝時代、奴婢は全人口の内、どの程度占めたのでしょうか?
学界では、朝鮮の人口を1000万人程度と見た時、約40%に相当する400万人程度が奴婢で有ったと推定して居ます。
 
なぜその様に多くの奴婢を維持したのでしょう
 
前述の様に、後期新羅時代には6%余りと、さほど多くは無かったと推定されます。
朝鮮王朝建国直前の1391年李成桂威化島回軍後に受けた領地(食邑)の記録からも似たような記録を見る事が出来ます。
162人のうち奴婢は7人で、約4.3%に過ぎなかったのです。
 
   <ドラマより>
 
それが100年後には人口の約40%程度が奴婢に変わったのを見ると、奴婢人口が大きく膨張したのは、朝鮮王朝からだと言えます。
 
なぜこのような急激な変化が起きたのでしょうか?
最大の要因は、朝鮮王朝を建国し社会を支配した『士大夫』の存在でした。
彼らは孔子、孟子の教えに忠実に、生産に携わらない事を「君子」の徳目と最重視し、非生産階級として君臨、日常身の回りの世話までも自分で行わず小間使いにさせました。
 
その為、奴婢を増やす事を至上命題として国家で禁止された「良賤交婚」を活発に行わせ、親のどちらか奴婢で有れば子供も奴婢になり、相続されるとし、奴婢を大きく増やしました。
 
 しかし、奴婢は兵役や納税の義務を負わない為、国家的次元で見ると奴婢が増える事は良い事では有りませんでした。
なので、朝鮮の王たちは奴婢数を減らす為の政策を積極的に繰り広げて居ますが、両班官僚は絶えず反発し、計画を頓挫させて居ます。
  

<チュノ オジホ>

 

そして1485年には、成宗時に作られた「経国大典」によって、親のいずれかが奴婢であれば、子供も奴婢である事が法で明文化され、朝鮮の奴婢数は急増します。
つまり、兵役と税金を担当する良民の数は減少される事になったのです。
 
朝鮮王朝時代、国家の歳入が赤字で、絶えず国庫が苦しかった理由としては奴婢の増加が一因として挙げられます。
  
こうして朝鮮王朝時代においても国家と士大夫のせめぎ合いが生じました。
紆余曲折の後、純祖1年の1801年に公奴婢が解放され、1886年には奴婢世襲制が、1894年に甲午改革奴婢制度が廃止され、正式に奴婢制度は廃止されました。
 
<小作人>
 
実際、戦争捕虜や他の民族を奴隷にした他国の事例とは違い、同族を19世紀まで奴婢に世襲させたと言う点から、朝鮮奴婢制は世界史的に見ても特異な制度だったと言えます。
 
15世紀以前に奴婢が消えた中国や日本と比べても格別な事例です。
もちろん、他の民族を奴婢にして良い訳では有りませんが、高い文明レベルを誇っていた朝鮮が近代を目前に置いた19世紀まで、この様な制度を維持したと言う点は明らかに異常です。
  
中国や日本も奴婢が存在しましたが、中国の場合には、宋の時代に法により撤廃、日本も戦国時代を経て、事実上消滅して居ます。
勿論その後も奴婢が完全に無かった訳では無く、ヨーロッパ同様『農奴』と言う風に存在しますが、それはあくまでも債務関係とか、経済的都合により行われる私的な領域に属した奴婢で、国家レベルでは積極的に介入しませんでした。 
 
   <ドラマ イニョプの道より>
 
この事により、一部歴史修正主義者には朝鮮王朝奴隷制社会だったと貶める見解も存在しますが、奴婢が良民と結婚をする事が出来た点や、所有主と離れて暮らし、一定の貢物のみ捧げれば良い「納貢奴婢(外居奴婢)」の存在、免賎して良民化する事が出来た流動性などから、他国の奴隷より自由な存在だったという点を強調します。
 
言わば農奴と奴隷の中間的な存在として幅広い階層として存在したと言えるでしょう。
どうあれ、両班士大夫層の強い抵抗により朝鮮王朝期間中に存在した奴婢と奴婢制度は、朝鮮の発展を妨げる障害となった事が明らかです。
 
<チョンジホ役 ソンドンイル>
 
奴婢制度が廃止された後も、
奴婢モスム머슴(作男)小作人制度に変化して解放前まで存在しました。
この様な階級意識が今尚朝鮮を始め、東洋社会に残存する事実を知って、これらの差別意識や特権階級の隠れた特権を撤廃し、真なる平等を社会に浸透する事が、現在でも各国の重要な課題となって居ます。
 
↓チュノの完結編です。ご覧下さい↓↓↓

 

< 参考文献>
한국민족문화대사전 
나무위키 
중앙일보 조선시대 인구 40%가 노비라는데···노비는 '노예'와 다를까
장례원
 
 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

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