<映画 マルモイ>
 
6章 朝鮮の人物-66 現代2
周時経チュシギョン
 
 
 
映画マルモイが日本で公開されて大きな反響を呼びました。
映画レビューでも述べましたが、この映画は日帝期に朝鮮語を守ろうとして、日本の朝鮮語抹殺政策に抗った人たちを描いた フィクション映画です。
 
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史実でも『朝鮮語学会』は日帝期、ウリマルウリクル(ハングル)をより発展させる為、朝鮮語辞典の製作を推進しました。
 
<周時経チュウシギョン>
 
ここで活躍したのがチェヒョンベ崔鉉培・シンミョンギュン申明均・キムドゥボン金枓奉・グォンドクギュ權悳奎・チョンヨルモ鄭烈模・イギュヨン李奎榮・ジャンジョン張志暎・チョングクチェ鄭國采・キウォンウ金元祐・アンドンス安東洙などです。
 
<キムドゥボン>
 
特にその中で、共和国の初代最高人民会議常任委員長を務めた、朝鮮語学者であるキムドゥボン、韓国に残ったチェヒョンべの様な人士たちは、解放後南北朝鮮で活躍し、我が国の言葉の同一性にも大きく寄与しました。
 
彼らの師が正に今回取り上げるチュシギョン周時経です。
旧韓末の文化啓蒙運動家、独立運動家、国語学者で、言語学者でもありました。
今回は彼について見ましょう。
 

<チェヒョンべ>

 
有名な話しで、朝鮮語を「ハングル」と呼びますが、彼が名付けた名前だと言われて居ます。
ちなみに知られる様に、「ハングル」は韓国の文字と言う意味では無く、「大いなる文字」と言う意味ですが、共和国ではハン=韓を連想させると言う事で「チョソンクル」と呼びます。
 
 
非政治的歴史用語でさえ政治化する事を憂える私は、いっそハングルでは無しに「ウリクル」を提唱し、このブログでも使用して居ます。
 
我が国は「ウリナラ」、我が言葉は「ウリマル」、我が学校(朝鮮学校)は「ウリハッキョ」と言う風に、朝鮮語にせっかく存在する「ウリ」と言う良い言葉を活用するのが良いと思うのですが。
 
 
ハングルと言う呼び方も味が有って悪くは無いとは思います。
我が国の言葉を創製したのは世宗ですが、その時は「訓民正音」と名付けたので有り、「ハングル」とは名付けませんでした。
 
略して「チョンウム正音」と呼んだり、民間では「オンムン諺文(おんもん)」や「アムクル(メスつまり女の使う字と言う意)」と言う風に蔑んで呼ばれた訳です。
 
 
それが旧韓末に「国文」に昇格し、晴れて我が国を代表する文字となり、20世紀に「ハングル」と呼ばれ出した訳です。
 
ウリクルの今の文法を確立したのが彼、チュウシギョン周時経で、彼をウリマルの父、韓国で「ハングルの父」と呼ぶ謂れは良く理解が付きます。
 
彼は1876年12月生まれで、1914年7月に享年34歳で没して居ますから、凡そ現代の人物には見えませんが、カテゴリーからするとレッキとした現代人物です。
 
<肖像画>
 
黄海道鳳山郡生まれ、号(ペンネーム)は「ハンヒンセム한힌샘」、「ハンフインメ한흰매」と言う風に固有語です。
漢字の号もカッコいいですが、漢字の無い固有語の号も粋(イキ)でカッコいいです(笑)。
号の付け方からして、彼の思想が「国文的」で有り、先見の明が有る様に感じるのは私だけでしょうか。
 
<映画より>
 
彼が国語(つまりはウリマルとウリクル)を研究する事になったキッカケは、幼い頃、書堂ソダン(寺子屋)で漢文を学ぶ際の講読法に疑問を抱いた事だそうです。
 
当時も今も、漢文の読み下しとして、以前にも紹介した「吏読リドゥ」的な読み方が主流です。
 
例えば論語の一句「學而時習之、不亦悦乎」を朝鮮語でハギシスプチ、ブルヨクヨルホ→ハギシスプチ면ミョン、ブルヨクヨルホ야ヤ(学而時習之なら 不亦悦乎なり)
 
と言う風に読みますが、これでは言葉を聞いても意味が伝わりません。
 
「学びて時にこれを習う、また喜ばしからずや」と読んでこそ理解が出来ます。
 
彼は漢文と朝鮮語の文法が異なる事を認識して、国語を研究する様になったそうです。
ソウルに上京して、1894年ぺジェハクタン培材學堂に入学、新学問に接し国語研究に邁進する事になりました。
 
<彼の原稿>
 
「独立新聞」が出版された時、校正を見ましたし、独立協会にも参加しました。
その後「帝国新聞」に寄稿したり、様々な学校の講師を務めて居ます。
 
彼のエピソードで有名なのがニックネームで、彼は多くの学校の講師で活動し、いつも忙しく動き回りましたが、カバンを持たずポタリ(風呂敷)を担ぎ動いたと言います。
それもタイトな授業のスケジュールの為、いつもその風呂敷を振り回し、大急ぎでせわしく歩いたそうです。
なので、付いたニックネーム(あだ名)が『周ポタリ』だそうです。
学校のキャンパスを、風呂敷を振りまわしながら歩き回る彼の姿が目の前に浮かぶ様です。
 
 
彼は、1907年に創立された韓国語研究所(後の朝鮮語学会)などで活動しながら、国語音韻の研究と国語の文法などをまとめた、言わばこの世界のパイオニアでした。
荒れ地で国語を開拓したと言っても過言では無さそうです。
 
先程紹介した号「ハンヒンセム」を始め、文法用語と学術用語などを漢語で無しに固有語で表そうと試みました。
 
 
漢文にドップリ浸かって居た周囲の者達は周時経を文字って「トゥル(あまねく周)テ(とき時)クル(ふみ経)」と嘲笑したと言います。
 
彼は多くの著書を執筆しましたが、特に彼の最後の著書となった「マルウィソリ(言葉の音の意)」は、西欧の言語学者より先行して構造言語学的論理の詳細を創案した世界で初めての業績として高く評価されて居ます。
 
<朝鮮語学会員>
 
彼の死により、解放前に世に出る事は有りませんでしたが、彼の主管した「朝鮮語学会」で、映画「マルモイ」で描かれた『朝鮮語辞典』編纂の為の原稿が編まれました。
 
<朝鮮語学会編 雑誌ハングル>
 
他にも彼は、ウリクルを英語の様に解いて使用する試案(ㅇㅜㄹㅣㅁㅏㄹと言う風に)を研究発表するなど、朝鮮語の発展の為に多くの研究成果を残しました。
 
1914年7月、突然の腹痛を訴え、亡くなりました。
急性胃炎とも、腹膜炎とも言われますが、定かでは有りません。
39歳ですから、惜しいと言う以外言葉が有りません。
 
<朝鮮語辞典の原稿>
 
彼に限らず、日帝期に活動した人物たちの逝去の早さが際立ちます。
それは多分に、今とは比べられない衛生の中で、極貧生活を余儀無くされ、ましてや植民地下と言う二重三重のストレスを抱え、生活環境が劣悪だった事と大きく関連して居る物と思われます。
 
ともあれ、彼によって現代朝鮮語の文法が始まり、彼は「ハングルの父」と呼ばれる訳ですが、南北の学者が手を取り彼の業績を受け継ぎ、より一層発展させる事を祈ります。
 
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전
나무위키
 

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