<映画 トンジュ〜空と風と星の詩人 ~尹東柱の生涯~より>

 
6章 朝鮮の人物-70 現代6
青年民族詩人 尹東柱ユンドンジュ
 
 
映画や創作劇が公開・公演された事によって彼の存在を知りましたが、日帝期の学生詩人•民族詩人、ユンドンジュの存在を長らく知りませんでした。
韓国では日本のセンター試験改め共通テストにあたる「수능고시受能考試」に良く出題される事も有り、良く知られて居ます。
 

<映画より>

 
2016年に彼を描いた映画「トンジュ동주空と風と星の詩人 ~尹東柱の生涯~ 」が公開されると尹東柱ブームが巻き起こったと言います。
 
現在共和国でどの様に評価して居るかは分かりません。
日帝期に転向しなかった、埋もれた才能を発掘して居る最中なので多分肯定的な評価がなされて居ると思われます。
 
<映画より>
 
日本でも日本留学中に逮捕され獄死しただけに関心が高いと言えます。
 
彼は1917年12月満洲北間島ミョンドン明東村(現在の中国吉林省)で裕福な家に生まれました。
一家は祖父の時代にカンド間島に移住して居ました。
 
 

父親はプロテスタント長老であり小学校教師のユンヨンソク尹永錫で、尹東柱は母金龍との間の7人兄弟の長男でした。

 
彼が生まれたミョンドン村は尹東柱ユン・ドンジュの生涯を理解する上で非常に重要な場所です。
 
東つまり朝鮮を明るくすると名付けられたこの土地はとても愛国的な土地柄で、母方の叔父や父親の影響を受けて彼も愛国的な人生を歩みます。
 
ちなみに抗日と統一運動で有名な文益煥ムン・イクファン牧師もこのミョンドン村出身で、尹東柱と共に育ったそうです。
安重根アン・ジュングンもこの村で射撃の練習をしたそうです。
 
 
彼は18才の時(1935)ピョンヤンの独立運動の名門崇実学校に通いますが、時あたかも日本が民族抹殺計画の一環として神社参拝運動を強要した時期で有り、彼は文益煥牧師らと共に同盟退学を以って抵抗しました。
 
校長も神社参拝に抵抗して免職になりますが、崇実学校自体2年後の1938年3月閉校されてしまいます。
ちなみに崇実学校は1948年ソウルに移転のち復活、現在も存在します。
 
<延喜専門学校寄宿舎 現在記念館>
 
崇実学校を辞め今後の進路を決める頃、彼は文学への道を志します。
 
そして京城(ソウル)のヨンフィ延喜専門学校進学へと進みます。
 
延喜専門学校は現在の延世大学校の母体で、民族主義的で自由な雰囲気で朝鮮語を教えました。
民族主義的な伝統と教授、学校の雰囲気が民族的情緒を生かすに最適なコースでした。
 
 
日本の植民地史観に対抗して資本主義萌芽論を初めて主張したペクナムウン白南雲を始め、様々な人士を排出して居ました。
 
しかし、父と祖父は医学部法学部を望み彼と大きく衝突します。
彼の強い意志に結局親たちも根負けし、彼は1938年文科への進学に成功しました。
 
<映画より>
 
太平洋戦争開始により朝鮮での専横が益々酷くなって来た1942年に延喜専門学校を無事卒業し、彼は日本への留学を決めます。
 
この頃、日本に留学する為には創氏改名が必須だったので涙を呑んで創氏改名します。
この決断の苦しみを彼は「懺悔」と言う詩に吐露して居ます。
 
尹東柱は東京の立教大学に入学しましたが、戦争一辺倒な東京の雰囲気を嫌い京都同志社大学英文科に編入しました。
 
 
この具体的な理由としては、
❶当時東京の大学は軍事教練の授業を受けなければならなかった事、
❷東京の大学在校生は学徒兵として戦争に駆り出される可能性が有った事
などだと言われて居ます。
 
彼は京都で従兄弟で有るソン・モンギュ宋夢奎と一緒に「在京都朝鮮人学生の民族主義グループ事件」で1943年警察に逮捕され、2年の刑を宣告、福岡刑務所に収監されました。
 
既に独立運動で逮捕された事の有るソン・モンギュは日本の要視察員でした。
 
<映画より>
 
彼らは他の学生らと一緒に朝鮮独立・民族啓発について議論し、特に『徴兵制を利用して軍事知識を体得、日本敗戦に直面する際に武力蜂起を起こす』などと主張し、多数の朝鮮人留学生が加わった民族主義グループが作られたと言われて居ます。
 
これを把握した日本の警察が尹東柱ユン・ドンジュを含む朝鮮人留学生のグループを逮捕したものと思われます。
 
彼は約1年7ヶ月の収監生活による健康悪化により1945年2月、29歳の若さで変死しました。
祖国光復の僅か6か月前の事でした。
 
 
死ぬ直前に彼が何かを言いましたが、看守が聞き取れず分かりません。
意味の無い呻き声だった可能性も有るし『大韓独立万歳』だったとも言われて居ます。
 
彼の死因について疑惑が持たれており、謎の注射を打たされて居たとの証言から日本軍による『人体実験』が有力視されて居ます。
 
当時、日本を含む他の列強も血液代替の研究に取り組んでおり、実際に九州帝大で血液代替の手段として生理食塩水を輸血する事で血液を代替する研究が盛んに行われて居た事が戦後のGHQの文書押収により明らかになって居ます。
 
 
特に日本は海水を利用した生理食塩水を使用した人体実験を行なっており、そのモルモットになったユンドンジュソンモンギュも感染症から脳溢血などを誘発した事が近年の研究で取り沙汰されて居ます。
 
彼を描いた2016年の映画でもその様に描かれており、当時1800人が犠牲になったとのテロップが流れます。
 

<従兄弟のソン・モンギュ宋夢奎>


彼の詩集は生前に刊行される事は有りませんでした。
 
師匠に送った詩集や戦後発掘された詩を集め、1948年『空と風と星と詩』と言う題名で出版されました。
 
 
彼の詩で直接民族主義民族独立を詠った詩は無く、内省的で哲学的な詩が特徴的です。
しかし、湾曲した表現より素直で直接的な表現が多いとされます。
 
彼は無口でややもすれば友人の少ない人に見えますが意外と交友が広く、彼の部屋は訪ねて来る友人が絶える事が無かったと言います。
 
 
昼夜を問わず友人の散策の勧誘にも拒否する事無く付き合いましたが、背が高く姿勢も真っ直ぐで自分の事を日本名でなしにいつも『ユン・ドンジュ』と名乗ったと言います。
 
写真を見ると分かりますが昔と今の基準でもかなりの美形、所謂イケメンです。
若くして亡くなったのでまるでジェームスディーンの様なイメージが残ります。
 
 
彼の詩と詩集をまだ耽読して居ませんので、これから読み、今後折りを見て翻訳を載せたいと思います。
 
余談ですが、最近中国との歴史歪曲問題が持ち上がって居ます。
中国で彼ユン・ドンジュ中国朝鮮族すなわち中国人で有ると紹介して居る事が韓国の反発を招いて居るのです。
戦前彼と彼の家族が中国に移住した事は確かですが、当然その頃「中国朝鮮族」なる概念は存在しておらず、中国人と表現する事には違和感を禁じ得ません。
これは高句麗を朝鮮の歴史では無く「中国の地方政権」で有ると主張して居る中国東北工程に通じる危うさも包含して居ます。
この問題、正して行くのは容易では有りませんが粘り強く進めて欲しいと思います。
 
 
<参考文献>
한국민족문화대사전
나무위키 
‘부끄러움의 시인’ 윤동주, 그가 마지막으로 하고 싶었던 말은...

 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

↓愛のムチならぬ愛のポチをお願いします↓

 にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ PVアクセスランキング にほんブログ村 

↑ブログ村に参加して居ます↑
↓読書登録はこちらから↓

韓国・朝鮮よもやまばなし - にほんブログ村

 

 

<主演を演じたカンハヌル>