ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
169. 大射礼 テーサリェ(テーサレ)
ドラマトキメキ成均館スキャンダルで、
成均館での大きなイベントとして『大射禮テーサリェ(テーサレ)』が開かれ、主人公3人の「蕩平タンピョン組」が見事、優勝を飾りました。
今回はそれにちなみ大射禮テーサレについて調べて見ましたのでご覧下さい。
大射礼は国の行事がある時に、王様が臣下たちと一緒に弓をする国の公式的な儀礼・イベントでした。
行事が祭祀の場合、弓を射て標的を当てた者は賞として祭祀に参列させますが、当てられなかった者は罰として祭祀に参列させないなどの賞罰を設けました。
射弓は我が国では六芸の一つで、
男子の徳行を修養する方法であり、心身を鍛え、国家の非常時に備える訓練でも重要な意味を持ちました。
特に朝鮮では射弓が古くから盛んだったので、
『射礼』はとても重要な儀式だったと言えるでしょう。
射礼には『大射礼』と『ヒャンサリェ鄕射礼』の2種類が有りました。
国王が主管するのが大射礼、士大夫や地方官が主管するのをヒャンサリェ鄕射礼と言いました。
これらは古く中国で盛んに行われた儀礼だったので、敬意を表する為、実行する前に中国に使者を送り(燕礼)、君臣の義理を果たしたあと実施しました。
記録によると朝鮮王朝時代1477年(成宗8)初めて行ったと有ります。
その後も1534年(中宗29)・1743年(英祖19)・1764年(同40)に施行されたと言う記録が有ります。
順序としては、まず成均館に出向き孔子などの先聖に礼(釋奠석전)を上げ、明倫堂で科挙を行った後、「射壇」に出て射弓を行いました。
大会には宗親をはじめ3品以上の文武官員が参加し、的を当てた者と当てられなかった者たちが東西に別れて立ち、当てた者には賞として服や生地などを授けて、当てられ無かった者には『罰酒』を与えて、今後を戒める様にと諭すのが通例でした。
決まりは時代毎に異なり、定まっておりませんでしたが、英祖の時代に規則を定めました。
現在『大射禮儀軌』と言う書籍が残っており、それによってイベントの詳しい内容を知る事が出来ます。
射弓に参加出来る官吏は、正2品以上の官員で、定員に満たない場合は下の者で補充しました。
まず王様が「壇所」に到着すると参加する『射官』と弓術を助ける『行射官』・「侍衛隊」・「宗親」・「文武百官」・「成均館儒生」たちは指定された場所に待機して、王が御座に座ると音楽に合わせて4拝の謁見の礼を捧げイベントが始まります。
射弓は楽団が奏でる「大射樂章」の音楽に合わせて弓を撃つ事とされて居ました。
音楽に従って1射から4射まで弓を計4回射ますが、それぞれ1音節に1回射る様に定められており、その定めに従い射る必要が有ります。
これは射弓に格式を持たせる為の装置でした。
ずは王が射弓します。
的(マト)に当たると「獲フェク」と言い、
矢の方向がマトよりも低い場合「留リュ」、
高いと「揚ヤン」、
左に行ったら「左チャ」、
右に行ったら「右ウ」と叫んで、
その結果を王に報告しました。
矢が標的に命中すると、旗を持つ者が旗を振り、命中した事を参観者に知らせます。
王の射弓が完了し席に戻ると、射的が代わり、全ての射手が東西に分かれて立ちます。
そして1人ずつ同様に弓を射ます。
王と違い、旗を振るだけで、口頭では知らせません。
終わると兵曹判書がマトを当てた者の名前と当てた矢の数を記録し、マトを当てた人間には服や生地、弓などを与え、当てられなかった人間にはボルジュ罰酒を与えました。
ドラマでは優勝者に勝利酒を与えてましたが、史実では逆だったと言うのが面白いです。
成均館でドラマの様に成均館生徒によってトーナメント戦で行われたと言うのはフィクションだと思われます。
<参考文献>
한국민족문화대백과사전
생활사 왕과 함께하는 활쏘기 "대사례(大射禮)"
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