<ドラマ マウィ馬医>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
162. 恵民署ヘミンソと活人署ファリンソ
 
 
 
 
ヘミンソ恵民署をご存知ですか?
現在テレビ東京系列で放送中のドラマ「マウィ馬医」はここを舞台にして居ます。
伝説のお化けドラマ「ホジュン」でこの存在を知った方もいらっしゃるでしょう。
 
  <ドラマ ホジュン>
 
恵民署は高麗時代に庶民の医療の為に開設された恵民局を踏襲して、1382年(太祖1年)操業を開始した庶民の医薬提供と治療を担った機関です。
 
以後1882年(高宗19年)に廃止されるまで朝鮮王朝時代の約500年の間、主に庶民の医薬と治療を管掌しました。
 
 
現在の国立病院の様な存在だったと言えます。
この様な施設は日本にも有り、江戸時代後期に存在した小石川療養所に近い存在と言えるでしょう。
しかし、小石川の方は無料で、療養が主目的だった様ですが、恵民署は有料で少々敷居が高かった模様です。
 
 

<ホジュン>

 

先程名前を挙げましたが、世界的な医療百科事典「トンウィポガム東医宝鑑」を製作し、
広く東洋世界に名を知らしめた ホジュン許浚がやはりこの恵民署で名前を鳴らしました。
 
 
恵民署は単純に診療だけ見る機関では無く、ドラマ馬医にも描かれて居ますが、医生ウイセンを教習していた機関でも有り、病気について研究する医療機関と言う性格も有して居ました。
医療専門の10人程の医員、30人強の医女が常駐しました。
 
中国から輸入した貴重な薬剤は王室の内医院に優先的に送られましたが、国内で栽培された薬剤などは最優先的に恵民署に送られました。
 
<ヘミンソ>
 
恵民署は病気の患者を訪問して直接診療もしましたが、「全ての民が病気で自由に治療を受ける事が出来る」と言う設立理念とは異なり、
首都漢陽(ソウル)の民衆だけを診療し、地方民は治療を受ける事が出来ませんでした。
 
 
また、恵民署は庶民を治療するための機関として設立されたものの、高価な薬剤料を払わねばならず、貧乏人は利用出来なかったのが実情でした。
朝鮮王朝時代、両班以外の庶民は病気になっても治療はおろか薬さえ使えなかったのです。
 
その上、伝染病患者も利用する事が出来ませんでした。
 
 

 

 この様に恵民署を利用出来たのは漢陽でも幾らかの幸運な人やコネが効く人が殆どだった様です。
 
時が経つ程一般民は恵民署訪問が難しくなり、自然とファリンソ活人署を訪問した様です。
 
活人署は1392年(太祖1)7月に、これまた高麗の制度に準じて「東西大​​悲院」と言う名称で病人と行き場のない人を収容した機関です。
コチラの方が小石川療養所の性格に近いかも知れません。
 
<ファリンソ>
 
1414年(太宗14)名称をファリンソ活人署に改称しました。
規模はヘミンソと同等だった様です。
貧しい一般民はファリンソで無料提供する灸や針で病気を治療してもらいました。
 
 
実際、恵民署活人署の設立理念自体が違います。
恵民署はある種の『医療研究機関』だったと言え、活人署こそが貧民の病気治療事業を管掌していたと言えるでしょう。
 
恵民署は今で言うと大学病院的な機関と言え、活人署は貧民救済で今の保健所的な性格だったとも言えます。
 
 

 

活人署では恵民署とは異なり伝染病患者をも面倒を見ましたが、医療知識や機器が粗末で、伝染病患者を治療するよりも隔離収容する収容所に近かったそうです。
 
これと言った治療も出来ず、多くの人々は人を生かす活人署ではなく、まるで人が死んで出て来るサインソ死人署だと陰で当て擦りました。
 
 1709年恵民署に吸収されてファルインソは完全に歴史の中に消えてしまいます。 
 
また1882年には恵民署も又、使命を果たし解散されました。
その後朝鮮王朝ではこれまたドラマが制作されたチェジュンウォン濟衆院が開院され、朝鮮初の西洋医院となります。
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전
혜민서를 알고계신가요?  우리원헬스케어가 알려드리는 조선시대 혜민서
 
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