<歴代 明成皇后を演じた女優>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
154.治外法権
 
 
 
 
明成皇后を殺害した事件「乙未事変」の説明が途中で終わってしまって居るのでその後について書こうと思います。
 
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ここで大事なキーワードは「治外法権」です。
現在でも自己の手の及ばない範囲を治外法権と呼びます。
意味合いは少々異なりますが、沖縄など米軍基地近くでアメリカ軍兵士が地元住民に凶悪事件を起こす度に日米地位協定に守られる不平等が話題になりますが同様と言えるでしょう。
 
<映画 治外法権>
 
治外法権は我が国ではどうだったのでしょうか?
 
先にも言いましたが、これは国際関係で他の国の領土内に在りながらもその国の国内法の適用を受けない権利を指します。
 
国際社会が平等な主権自決的関係に発展するにつれて、第2次世界大戦以降はもはや使用されない概念です。
 
 
現代の外交官の刑事免責などの特権が付与されるのはウィーン条約に基づく国際法で有り治外法権とは違います。
治外法権最恵国待遇と同様、帝国主義時代の産物です。
被支配国に居住する強大国の国民が領土国家の法秩序に服従せず、彼らは滞在国の領土外に在る物と見なす架空のシステム概念です。
 
我が国の近代史でも良く登場する単語です。
ここでの治外法権外国人が滞在国の中で
起こった事件について滞在国の裁判を受けるのでは無く、外国人本人の国の滞在国領事の裁判を受ける為、領事裁判権とも呼ばれます。
 
<江華島条約 条文>
 
朝鮮王朝が1876 年江華島条約で日本に治外法権を強要され、その後西洋の国々と通商条約を結ぶ度にこの条項が割り込んで入りました。
 
おかげで、開港場では悔しい事がよく起こったと言います。
もちろん殺人などの重罪を犯した場合、その国でも処罰をしましたが、そうでなければ闇に紛れる事が日常茶飯事で、従ってこの治外法権があるかどうかで不平等条約を区別しました。
 
<明成皇后暗殺の場 オクホル玉壼樓>
 
この治外法権のツケを1番払う羽目になったのが上記の「乙未事変」です。
 
乙未事変を起こした日本公使三浦は午前中に景福宮に入って高宗を謁見し、直接王妃の死身を確認した後、浪人たちに証拠隠滅のため、遺体を燃やして無くせとの命令を下しました。
 
<三浦梧楼>
 
以後三浦が高宗興宣大院君と3者会談を行っている間、浪人は景福宮裏側乾清宮東の緑園で体に油を差し燃やしてしまいました。
 
残りの遺骨は訓練隊所属のユンソクオがこっそり持ち出し山に埋め後に再び世に出したそうです。
 
乙未事変直後の午前11時、三浦西園寺外務代行に大院君がクーデターを起こしたという虚偽の報告を送り、その日の夕方になってようやく事実を告白します。
 
 
その直後西園寺は外務省政務次官が率いる調査団を派遣して、正確な事件の把握を指示します。
 
高宗は自身の安全の為に米国、英国宣教師に警護される事を望み、彼らのみを信頼して日本の暗殺を恐れました。
食事も宣教師が提供する、鉄の箱に入れて鍵で封印した食べ物だけを食べました。
 
公使の三浦高宗との会談で明白な脅迫を加え、金弘集内閣を成立させました。
そして「漢城新報」大院君が出廷したという見開きだけの記事を出させて、昨夜の出来事が大院君明成皇后との間の軋轢によって行われた様に誘導しようとしました。
 
<死体遺棄場面の図>
 
また、三浦は朝鮮外部と軍部に今回の事件に日本側が関与して居ないという証明を要求し、これを受ける事に成功しました。
 
金弘集は高宗の「明成皇后を庶人に廃するという詔勅」に自身が署名し発表しましたが、これは大きな逆風を呼び起こしました。
 
<事件を伝える欧米の新聞>
 
王太子純宗は詔勅に反発し、太子の座を退くと激しく抗議しました。
これに驚いた金弘集は庶人に廃す詔勅を取り消し、嬪に昇格させると発表しました。
 
しかし、民心は急激に悪化します。
ロシア公使ベーベルを中心に西欧の各国公使も明成皇后殺害事件の責任を追及して、国際世論も日本に不利に展開しました。
 
 
この時、責任を追及された日本は
「朝鮮人の言葉を、どうしてそのまま信じるのか?」と反論しましたが、
 
 

「これは朝鮮人が言ったのではなく、西洋人が見たのだ!」と再反論され、言葉を失って居ます。

余りにも目撃者が多過ぎました。
 
<怪漢 侵入図>
 
最終的に明成皇后の殺害を朝鮮内部の権力闘争にすり替えようとして失敗した日本は、状況が不利になると三浦などの事件加担者48人を召喚して広島刑務所に収監、裁判にかけました。
ここで先の「治外法権」、「領事裁判権」がモノを言った訳です。
 
日本の法廷は、証拠が不十分であると主張しました。
 
 
丁度その頃、李完用をはじめとする親米派官僚と西欧の宣教師、外交官が大挙介入して、高宗をアメリカ公使館に脱出させようとする
「春生門事件」が発生します。
 
すると「欧米も朝鮮に介入して居るでは無いか。
なぜ私たちとて介入出来ないのか?」
と開き直り、事件加担者全員を釈放しました。
 
釈放された彼らは日本の愛国者として拍手喝采と称賛を受け、出世街道をまっしぐらに疾風する事になります。
 
<回顧録>
 
韓国の研究者の中にはこれを見て、明成皇后殺害の背後に日本政府が介入したと見る事が出来ると主張する人も居ますが、証拠資料が無く決着は着いて居ません。
 
その後殺害実行犯については様々な供述、告白、自叙伝など、研究も多く有り、先日も実行犯の子孫が謝罪をしたいと申し出るニュースも有りましたが、武勇伝が多く定説は有りません。
 
残念な事に日本の教育でこの事実を教える事は殆ど無く、実際に禹範善始め朝鮮の守備隊が関与した事実を以って朝鮮国内の軋轢による事件と主張する論調が大半です。
 
 
この様に治外法権が真実を隠蔽するのに大きく利用された歴史が有ると言う事実を、我が国の暗黒の歴史を具体例として指弾する事が出来るでしょう。
 
 
<参考文献>
한국민족문화대사전
나무위키 
조선전사 
三省堂 朝鮮の歴史
山川出版社 朝鮮史
 

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