<ドラマ 六龍が飛ぶ>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
144.朝鮮王朝建国神話リョンビオチョンガ龍飛御天歌
 
 
 
 
我が国の神話シリーズ最終回として朝鮮王朝の建国神話を見ます。
 
朝鮮王朝の建国神話として「リョンビオチョンガ龍飛御天歌」が有ります。
この作品を通して、朝鮮王朝の神話の世界を垣間見る事が出来ます。
 
 
この本は10冊で成り立っていますが、これは内容で無く分量で分けた冊数で、その内容によってもやはり10に区分出来ます。
 
まずは本の構成を紹介します。
 
まず第1章は全体の序文に該当しますが、「海東リュクリョン六龍」が飛ぶのは天空が与えた祝福で有り、これは昔の聖人の故事と合致するとして居ます。
 
ここで「海東ユクリョン六龍」とは李成桂リソンゲの一族の事で、モクチョ穆祖(4代祖)・イクチョ翼祖(3代祖)・トジョ度祖(2代祖)・ハンジョ桓祖(先代祖)など李太祖の先祖四人と太祖リソンゲ・太宗リバンウォンの2人の王を指します。
 
次に第2章で、全ての事は必ず理由が有ると言う事を水と木に例えて強調して居ます。
 
 
3~8章は朝鮮王朝の始祖であるモクチョ穆祖(4代祖)からでハンジョ桓祖(先代祖)に至る祖父の行跡を歌って居ます。
これを見ると、すでにこの時から、天空の命を受けて居た事を知る事が出来るとして居ます。
 
9~14章は太祖 李成桂の威化島回軍から漢陽への遷都に至った経緯を説明して居ます。
威化島回軍で民心が太祖に集まりましたが、太祖は高麗王朝を守ろうとし、しかし幾つかの事情が許されず、やむを得ず王位に上ったと語って居ます。
 
15~26章で、李氏が王になる兆しは既に高麗初期から見え始めており、モクチョ穆祖・イクジョ翼祖・トジョ度祖・ハンジョ桓祖に至っては、それが表面上に現れたと有ります。
 
 
27~46章は太祖の非凡な姿と芸と、天の助けを受けた不思議な奇跡を記述しました。
 
47~62章は太祖が最大の武功を立てた倭寇との戦いを
主に歌っており、北の女真族たちも非常に面倒な存在でしたが、太祖はこれらも武力と徳で治めたと有ります。
 
63~85章は太祖の弓芸だけでなく、彼の学問と人格を称えて居ます。
 
86~89章は中国の聖人の行跡を前面に出して居る前章までの曲の格式と形式を破り、太祖の神力と神武,神功を称え、彼への称賛を終えて居ます。
 
90章から109章までは、次にテジョン太宗の容姿・人柄そして天の助けを受けた事について歌い、その夫人の内助の功を称えました。
 
110~125章まで後の君主を戒める内容を歌って居ます。
 
 
「龍飛御天歌」の本文とそれを解いた漢詩は1445年、即ち訓民正音(ハングル)が頒布された1年後に作られており、ウリクル(ハングル)で書かれた文章としては一番最初に書かれた物と見る事が出来ます。
その為、国文学としての史料的価値が非常に高いのですが、その部分は長くなるので割愛します。
 
この神話の特徴は、上記の如く 国祖(リソンゲ李成桂の祖先)の人物をすべて龍と形象した点です。
 
太祖 李成桂リソンゲチャムリョン潛龍とされて居ますが、他の龍は太祖が王位に上る事を予言する為に現れます。
 
<ドラマのリソンゲ役チョンホジン>
 
特に第22章に出て来る龍の物語は他の部分とはタッチが違って居て、2代祖のトジョ度祖白龍を助けて黒龍を退治するお話しが出て来ます。
 
何故彼が白龍を助けたかと言うと、この白龍が彼、トジョ度祖に将来の子孫が王位に就く事を予言したからです。
 
人間に助けを求める白龍は良い龍で、黒龍は他の龍とは区別される悪龍だという点が注目されます。
 
即ち、第22章の龍のお話しは単純な帝王の象徴として登場したのではなく、それまでの民間の説話を取り入れた結果と言えます。
 
<太祖リソンゲ>
 
具体的に言って、古くは新羅の「ゴタジ居陀知説話」、前回紹介した高麗建国神話の「チャクジェゴン作帝建説話」を取り入れて居ます。
トジョ度祖という人物を英雄化する為、救出の物語を借用したと言えます。
 
「龍飛御天歌」125章の内、人物の割り当て分布を見ると李成桂80章、李芳遠21章、イクチョ翼祖(3代祖)9章、トジョ度祖(2代祖) 6章、モクチョ穆祖(4代祖) 3章、ハンジョ桓祖(先代祖) 2章です。
 
この数字を見ると「龍飛御天歌」の主人公は紛れも無く李成桂であり、サブ(副)主人公は李芳遠です。
 
 
李成桂を、百戦百勝の勇将で政治的業績が大きく、人間的に友愛があり、学問を嗜(たしな)み、謙譲(けんじょう)の美徳を備えた人物と描写しました。
 
しかし、革命の英雄としての李成桂の性格は終始不統一と矛盾をさらけ出して居ます。
 
進取的で好戦的、また「外的欲求不満」の英雄である李成桂「遼東征伐」においては過度に卑屈で事大的でした。
 
静的なチョンモンジュ鄭夢周の除去にも終始優柔不断で、むしろ息子のリバンウォンが倒してしまいましたが、倒した後も李成桂は息子を非難しました。
そして、結局は夫人の進言でうやむやに収拾した経緯(いきさつ)が有ります。
 
 
これらの性格分裂、矛盾はリバンウォンの場合にも沢山有ります。
弓と駿馬と武勲で華やかに装飾されたリソンゲ李成桂は事実上重要な契機と危機においては
案山子(かかし)に過ぎませんでしたが、弓も駿馬も無く、ただ父太祖の顔に似て居ると言う条件だけで飾られたリバンウォンは、決定的な行動を起こし実際には父より優れた偉大な英雄となりました。
 
静的なチョンモンジュ鄭夢周・チョンドジョン鄭道傳・リバンガン李芳幹などの撃退など、李成桂が即位する上での決定的な事件が事実上リバンウォンの手によって行われたからです。
 
<ドラマのリバンウォン ユアイン>
 
高麗王朝の忠実な臣下が祖国に反旗を翻して、朝鮮王朝を立てた「革命」を合理化、神聖化しようとしましたが、決して反逆では無く、天命による物で有る事を強調しようとする余り、当初から複数の無理と矛盾が生じてしまいました。
 
神話はリソンゲ李成桂を高麗王朝の忠臣に祭り上げておいて、尚且つ新しい国の創業者に立てようとする二律背反の矛盾が必要でした。
 
その為、自然とリソンゲ李成桂は決定的に重要な時には用心深い人物にされ、その領域でリバンウォンが出るしか有りませんでした。
 
 
そしてリバンウォンは謀略家で野心家でなければならず、李成桂は良い意味で大人しく優しくて忠実な人間になって、悪い意味で卑怯で優柔不断な政治家になってしまったのです。
 
次に指摘する矛盾は、神話の構成自体が事大主義に塗り固まれて居ると言う事実です。
 
「龍飛御天歌」の構成は前句が中国の故事で、後句が朝鮮創業という構成となって居ます。
中国の夏・殷・周・隋・唐などの故事を並べて、ここに当てはめるかの様に朝鮮の伝説と故事を創作したので、
あらゆる無理と矛盾が発生しました。
 
 
中国の故事に当てはめる為、とんでもない神話を作り出さなければならず、モクチョ穆祖を始めとする4代祖の神話はほとんど信憑性がない空想の話ですが、実際に荘厳で興味の湧くプロットも無い、極めて貧弱で短い話に過ぎません。
 
高麗の国祖神話は、朝鮮王朝のそれよりはるかに規模が大きく、また想像力も豊かでしたが、こちらは想像力に乏しく貧弱です。
 
この様な欠陥は、神話製作に参加した人々がみな儒学者で有った為、新たに建国神話を作り出すよりも安易に中国の故事に依存したからで、彼らの発想の貧困を物語って居ます。
 
この「龍飛御天歌」六龍と言う発想からヒントを得たのがドラマ「六龍が飛ぶ」でした。
 
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ここでの六龍はプロットのみ拝借し空想の人物を創作、今迄の政治陰謀劇とは一味違う「青春群像劇」を描こうとしましたが、必ずしも成功したとは言えません。

 
これはそもそもリソンゲ李成桂の政権奪取とその後のリバンウォン李芳遠のクーデターが、理想論的な大義名分の非常に少ない、極めて世俗的で血生臭い政治劇だったせいかも知れません。
 
 
正攻法で歴史悲劇として描いたドラマ「龍の涙」の方がより現実味が有り、朝鮮王朝建国時の矛盾をリアルに描いて居て共感出来る造りとなって居ります。
 
以上、朝鮮王朝の建国神話を最後に、我が国に伝わる神話を早回しにて辿りました。
機会が有ればより詳しくご紹介したいです。
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전

 

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