ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
140. 百済オンジョピリュ温祚沸流神話
 
 
 
 
 
今回は百済の建国神話(説話)を紹介します。
良く知られている様に百済は扶余系で、高句麗のチュモン朱蒙とも血縁関係だと言われて居ます。
今回は「三国史記」「三国遺事」の内容を中心に考察したいと思います。
 
三国史記によると、百済はBC18年に国家を建設したと有りますが、他にも中国史書、日本の史書と多様な記録が伝わります。
建国の場所も帯方県、河南慰礼城と多様で、
始祖・建国主の記録にもオンジョ溫祚とピリュ沸流の兄弟が登場します。
 
<ピリュとオンジョ>
 
「三国史記」巻23百済本記1 温祚王即位年条によると、
溫祚の父はチュモ鄒牟あるいはチュモン朱蒙で、北扶余から卒本扶余に来て扶余王の第2の娘と結婚しました。
しばらく後に扶余王が死ぬと朱蒙が王位を継承します。
 
この時、2人の息子を産みますが最初がピリュ沸流で、2人目がオンジョ溫祚でした。
ところが、朱蒙が北扶余に居た時に生んだ息子が来て太子になると、溫祚と沸流は烏干、馬黎など10人の臣下と南に発ち、漢山に達してハナムウィレ河南慰礼城に都を定め国号をシプジェ十済としました。
 
この時、前漢 成帝 鴻嘉3年(BC 18)でした。
沸流は十臣の意見に従わず、ミチュホル彌鄒忽(今の仁川)に行きましたが、ミチュホルの土地が湿り、水が塩辛く暮らせないので、慰礼城に戻って死にました。
 
その後、オンジョ温祚は民が日増しに多く従ったので国号をペクチェ百済としました。
その世系は、高句麗と同様プヨ扶余から来たので扶余を姓としました。
 
続いて記録されたピリュ沸流説話を見ると、
百済の始祖ピリュ沸流王は父が北扶余王ヘブル解扶婁の庶孫で、母は卒本人ヨンタババル延陁勃の娘ソソノ召西奴だったと有ります。
 
<ドラマチュモンのソソノ>
 
ソソノは最初にウテ優台と結婚して沸流と温祚を生みました。
彼女は夫が死んだ後、北扶余から来た朱蒙が卒本で高句麗を建国するのを助けました。
 
朱蒙はソソノ召西奴を王妃として厚遇し、沸流と温祚を自分の息子の様に接しました。
 
しかし朱蒙は扶余で生まれた息子ユリュ孺留(リュリ瑠璃)が来ると太子にして、王位を継承させました。
これに沸流は弟の温祚と共に母を連れて、ペス浿水(大同江)とテス帶水(漢江)を越えミチュホルに行き住んだと有ります。
 
「三国史記」の記事でさえも上記の様な違いがあり、イリョン一然「三国遺事」には「始祖オンジョ温祚は東明王の三男として、身体が大きく心象が孝友し、馬乗りや弓術を良くした」有ります。
ちなみに、「海東高僧伝」巻1 摩羅難陀条には名前を「ウンジョ恩祖」と別名で表記しました。
 
<韓国切手 オンジョ温祚>
 
不思議な事に「三国史記」の温祚説話と沸流説話とを比較すると、以下の通り共通点と差異が有ります。
 
共通点は沸流が兄で温祚が弟、兄弟の生母と朱蒙が夫婦で、朱蒙と一定の関係を維持しており、扶余系出自で、南に下りて新しい国を建てたという点です。
 
違いを見ると
①まず、父が温祚説話では朱蒙、沸流説話ではヘブルの末裔であるウテ優台と有ります。
 
②第2に朱蒙の王位継承について温祚説話では義父により受け継がれたと有りますが、沸流説話では沸流の母ソソノの助けを借りて達成されたと有ります。
 
③第3に百済建国の温祚説話では温祚がかなり動的人物ですが、沸流説話では沸流が主導的な存在で、温祚は単に名前が登場するだけです。
 
④第4に温祚説話では温祚と沸流が漢江流域とミチュホルに定着し、後に2つの領域が併合されたと有りますが、沸流説話には沸流と温祚が一緒にミチュホルに居住したと有ります。
 
<オンジョ温祚>
 
以上に見る温祚と沸流の関係を類推すると2人は異父兄弟だったのでは?と見る向きが有ります。
2人の関係が複雑だったと思われるのです。
 
「三国史記」に記録された温祚と沸流神話(説話)の内容は他の建国神話の様に神話の幻想性を帯びず、どちらかと言うと歴史記録的な性格を帯びて居ます。
 
これは温祚と沸流が神話の主人公と言うよりも、建国主としての役割が大きいからです。
 
「温祚・沸流神話」は、初期百済を構成した集団が天孫系温祚勢力と地孫系沸流勢力の連合体である事を示唆して居ます。
 
<ピリュ沸流>
 
従って、これらの集団が追求する神話は温祚系は扶余の天孫「東明王神話」を借用し、沸流系は地孫系クムワ王系の神話を借用する事により二部族間の協力と葛藤の様相を見せて居るのかも知れません。
 
この神話は先にも述べた様に、神話的な叙事詩構造と言うよりも歴史的な記録に近いと言え、
百済の建国神話を歴史に再構築する為の基礎資料として、大きな価値を持って居ると言えます。
 
<オンジョ温祚>
 
最後にオマケでドラマに描かれる温祚と沸流を
見たいと思いますが、2人はドラマチュモンに登場します。
 
沸流はウテとソソノの間に生まれた長男で、ソソノが高句麗の王后となり自然に高句麗の王子となりました。
朱蒙の実の息子リュリの出現までは平和で、自分が太子として高句麗の王位を継承する物と考えます。
しかしリュリが登場してから危機意識を感じてリュリを牽制し、養父の朱蒙さえ不信するに至ります。
 
 
温祚も次男で、自然と高句麗の王子と
なりました。
好奇心が強く探検するのが好きで、常に鍛冶屋モパルモの鉄器部屋に出入りして居ました。
後に百済を建国する気概を強く示唆する描写でした。
 
2011年に同じくMBCでチュモン朱蒙の続編「オンジョピリュ温祚沸流」が50部で制作されると告知が有りましたが、制作変更され、放映されなかった模様です。
 
 
<参考文献>
三国史記
三国遺事
한국민속대백과사전 
나무위키 
위키백과
 

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