<ドラマチュモンでのヘモス>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
139. ヘモス解慕漱神話
 
 
 
 
今回は扶余の建国神話で有るヘモス解慕漱神話を取り上げます。
詳しいお話しはチュモン朱蒙神話で述べたので、かいつまんでのみ述べます。
 
一言で高句麗のチュモン朱蒙神話の前段階だと思えば良いですが、多少の違いが有り、
矛盾が有るので注意してご覧下さい。
 

 

ちなみに扶余古朝鮮辰国(三韓)と並び我が国最古の王国で、高句麗百済のルーツとなった我が国の大事な歴史的国家ですが、史料に乏しく謎に包まれて居ます。

 
まずイリョン一然三国遺事の記事から。
 
昔の古記に曰く
「『前漢書』に宣帝神爵3年壬戌4月8日、天帝が五龍車に乗ってフルスンゴル訖升骨城(遼の国の医州地域にある)に下りて、都を定め国の名前を北扶餘として自称ヘモス解慕漱とし王を名乗った。
 
息子を産んで名をプル扶婁として姓を解氏とした。
その後、王は上帝の命に応じ東夫餘に都を移し、東明帝が北扶余に来て建国し、卒本に都を建て卒本扶余になったが、すなわちこれが高句麗の始祖である。」とした。
 
(三国遺事 1巻 紀異 北扶余条)
 
 
ここで言う東明帝を高句麗のチュモンと見る見解と、チュモンとは別の扶余の始祖王と見做す見解とに分かれて居ます。
古来扶余系国家では始祖王を東明王と称する伝統が有った様です。
 
次に同じく三国遺事の東扶余条をご覧下さい。
 
北扶余王ヘブル解夫婁の宰相アランブル阿蘭弗の夢に、天帝が下りて来て言うに
「将来私の子孫をして、此処に国を建てるつもりで有るので、お前はこの場所を避けよ。」と、東明が将来興こる兆しを謂う。
 
東海の水辺にカソブォン迦葉原と言う場所があり、土地が肥沃で王都を建てるに値する場所で有った。
アランブルは王に勧めそこへ都を移し、国号を東扶餘とした。
 
(同書 1巻 紀異 東扶余条) 
 
ここでは東扶余の建国の歴史を綴って居ますが、ヘモス解慕漱の子孫で有るヘブルが、天帝(つまりはヘモス)の命によって国土と都を東に移し東扶余を建国した事実を語って居ます。
 
 
最後に高句麗条を見ましょう。
 
「檀君記」には「タングン檀君が西河の河伯の娘と親しくして息子を産んでプル夫婁と名付けた」と有る。今、この記録を詳しく調べて見るとヘモス解慕漱が河伯の娘と私情を通じチュモン朱蒙を生んだと有る。
 
「檀君記」には「息子を産んで名をプル夫婁とした 」と有るので、その場合プル夫婁と朱蒙は異母兄弟である。
北扶余王ヘブルが最初に避けて行った地が東夫餘で有る。
 
(同書 1巻紀異 高句麗条)
 
ここではタングン檀君とヘモス解慕漱を同一視して居ます。
ヘモスの子で有るプルと朱蒙は異母兄弟として居ます。
元々朱蒙はプル王の息子、クムワ金蛙王の養子として育ったと有るので、この記述は矛盾して居ます。
 
<ドラマチュモンのクムワ王>
 
共通して居るのは
①ヘモス解慕漱が天帝もしくはその子孫で北扶余を建国したと言う事実。
②北扶余が東に移り東扶余になったと言う事実です。
 
他の事柄はあらゆる記録がまちまちで
矛盾しており、理解しようとすると頭が混乱して来ます(笑)。
この様な矛盾が生じて居るのは、元々扶余の神話で有るヘモス神話を、後の高句麗が自己の神話として取り込んだせいと思われます。
 
ヘモスとは何者でしょうか?
彼を太陽神と解釈する視点が有ります。
朝に来て夕方に帰るとかリュファ夫人が日光により妊娠、または妊娠中に太陽の光がお腹を照らす状況、五龍車を操り廻ると有るので。
 
 
事実、「続日本紀」延暦8年に百済人達が百済王室の出自を直接伝えて居ますが、「百済の遠祖である都慕(朱蒙)王は、河伯の娘が太陽の精気に感応して産まれたが、皇太候はすなわち彼の子孫である」と記されて居ます。
 
魏書にも「我是日子、河伯外孫」と明確に記載されて居ます。
 
ヘモス解慕漱は元々名前と見られますが、
ジュリアスシーザーが皇帝を表すカイザーやツァーリに変化した様に、皇帝、上帝を表す言葉に変化して行った物と考えられます。
 
最後にドラマチュモン朱蒙でのヘモスについて見ます。
 
ドラマで彼は、作中最も数奇な運命を辿ります。
タムル多勿軍の隊長で、古朝鮮の流民を漢の支配から解放させるために人生を捧げましたが、最終的に漢軍に捕らわれて眼球をくり抜かれ処刑の危機を迎えます。
 
 
そうする内に友達クムワ(本来孫の筈が何故か友人に:笑)によって脱出したと思うと、今度は弓矢に当たって崖に落ちて死んだと思われました。
そして扶余の巫女ヨミウルによって20年間光の差さない須弥山の洞窟監獄に幽閉。
 
その紆余曲折の末、自分が最も愛した女性リュファに会い、自分が教えた弟子チュモンが自分と彼女との間に生まれた実子である事を知り喜びますが、しかし大使者ブドゥップルと王子テソ帶素の計略によって凄惨に死亡。
 
 
実際に作品を見ると、ヘモスほど不幸な人が居るかと思う程、数奇な運命です。
自分が最も愛した女性と一度しか会えずチュモン朱蒙が自分の息子である事を悟りますが、父子の情をかけ合う事さえ無く死亡。
 
そして、お互いに命さえ捨てる事が出来た友、クムワと最後に会う事も出来ず、遺体さえ刻まれる屈辱を味わいます。
 
 
作中武術の実力は一言で世界最強です。
チュモン朱蒙の父親なので当然と言える設定でしょう。
 
それにしても、ドラマとは言えあんまりな設定です(笑)。私もドラマをイライラしながら見ていた思い出が有ります(笑)。
 
次回から三国の他の国の神話を見ます。
 
<参考文献>
三国遺事
나무위키 
위키백과 
한국민속대백과사전

 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

 愛のムチならぬ愛のポチお願いします ↓

 にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ    PVアクセスランキング にほんブログ村 

ブログ村参加して居ます↑

韓国・朝鮮よもやまばなし - にほんブログ村

 
<ドラマチュモンでのリュファ流花>