<雲が描いた月明かり(クルミ)>

 

ワンポイントコラム

<韓国朝鮮 歴史のトリビア>

76.宦官(内侍)について

 

 

 

 

宦官(かんがん)ってご存知ですか?

前近代における中国、朝鮮に於いて宮廷で働いた内官で、去勢された男性です。

 

これは日本を除き世界的に見られる制度でした。

 

 

古代中国の著名な歴史家、

司馬遷が宦官だった事が有名ですが、

我が国でも高麗,朝鮮王朝時代に存在しました。

 

<司馬遷>

 

時代劇で良く登場しますが、髭(ヒゲ)を生やして居ない人がそうです。

色々な名称で呼ばれましたが、高麗後期と朝鮮時代には內侍(ネーシ)と総称されました。

 

中国では先の司馬遷の様に不義者5刑のひとつとして宮刑で宦官を充当しましたが我が国では無く、高麗では賎民層や官奴など半強制的に去勢をさせたり、軍役や弾圧などを避けて自行する例が多かった様です。

 

<イラスト>

 

宦官の職務は宮内守備、官婢の監督、宮廷清掃、王の外出時の随行、儀式の準備などでした。

一般的に彼らは去勢により中性化され、髭も生えず慈悲深くはなるモノの、

逆に物欲が強く富を集めるために夢中になったりしました。

 

<逆賊 民を盗んだ盗賊ホンギルドンにて>

 

君主を側近で奉じながら複数の機密を

接する機会が多く、自らの権力を掌握して、

政治を混乱させることもありました。

 

高麗初期の宦官は出世の限界を設け伸長を抑えましたが、毅宗(1146 )時代になって宦官勢力が勃興しました。

 

<高宗一家と内侍>

 

その後、武臣政権が成立し王権が弱化されると宦官勢力も衰えますが、モンゴル干渉期に外部勢力依存的な王権が台頭すると、宦官勢力が再び勃興しました。

 

宦官勢力の伸長の結果として1356(恭愍王5)、宦官の官庁である内侍府が設置され、官職を受ける宦官が増大して高麗末の混乱と滅亡に拍車を掛ける事となります。

 

<ドラマ クルミにて>

 

朝鮮王朝時代の宦官は、人員が140人に達しましたが、高麗期の教訓から、尙膳サンソンなどの宦官職を設け一般官職と区別、厳しく規制されたので高麗の時の様な弊害は起こりませんでした。

 

かえって、資質向上のため四書五経などを身につけ、毎月試験を受け成績評価で出世させるなどの政策でレベルは向上したと言えます。

 

<ドラマでの試験>
 

パクポゴム主演のドラマ「雲が描いた月明かり」で主人公ラオン(キムユジョン)が借金のカタに売られ内侍の試験を受け、ひょんなことから受かってしまい宮内で暮らす事になりますが、実際に宦官試験は競争が激しく狭き門だった様です。

 

結婚も可能で妻妾を娶り、彼女らを宦妻などと呼びました。

朝鮮では中国と違い、睾丸を取るだけだったので、子供は産めませんが夫婦生活を営む事は可能でした。

 

<太陽を抱く月(ヘプムタル)にて>

 

朝鮮時代の養子は同姓に限りましたが、宦官のみは家系断絶を配慮し、異姓の養子も可としました。

そして養子によって桂林派、板谷派、江東派などの宗派が出来ました。

 

宦官には宮内に居住するチャンボン(長番)宦官と、宮殿の近くに集団居住しながら通勤するチュリッポン(出入番)宦官とに分けられました。

 

 

特に王に近侍する宦官は「テージョンチャンボンネーシ大殿長番内侍」「テーガム大監」などと呼ばれ栄華を享受しました。

一方で、王が逝去すると宮殿外に出てひっそりと隠れ住んだとの事です。

 

彼ら内侍の祿俸(給料)は待遇が良く、引退しても年金が支払われたので、生活には困らなかったとの事です。

 

<内侍達>
 

彼らは亡くなっても集団で埋葬される事が多かったらしく今でも墓地群が残って居ます。

 

宦官制度は1894(高宗31)甲午改革時に廃止されました。

 

<参考文献>

한국민족문화대백과사전 宦官

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