<ドラマ チャングムの誓いにて>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
74.太平館と慕華館
 
 
 
 
 太平館テピョングァンと慕華館モファグァンは
朝鮮時代明の使臣を接待するために
ソウルに作られた国営の客館です。
今で言う迎賓館と言えるでしょう。
 
<現独立館(旧慕華館)>
 
ドラマでも良く登場します。
チャングムやトンイ、イサンなど。
中国使臣はドラマの定番人物なので、彼らが居る場所が太平館か慕華館だと思って良いでしょう。
 
朝鮮時代に外国使臣を迎え接待した施設は「新増東国輿地勝覧」によると、太平館、モファグァン慕華館、東平館、北平館などがありました。
 
<旧太平館>
 
太平館は主に明の使臣を宿泊させる宿舎として崇礼門(南大門)内の皇華坊に置き、慕華館も中国の使臣を迎える宴会場として敦義門(西大門)西北に置きました。
そして東平管は日本使臣を、北平管は女真族をもてなす処(ところ)でした。  
 
<もてなしの様子>
 
太平館の名前は、高麗時代の征東行省を太平館に名称変更した事に始まります。
元征東行省は日本征伐のために、元の世祖が立てたものでしたが、モンゴルが退いたあと中国の使臣の宿泊施設に変わったのです。
 
 
朝鮮時代に漢城(ソウル)の宮殿、都城を新たに創建し1393年(太祖2)征東行省を太平館としました。
その後、1395年に各道から人夫1000人を徴発して太平館を新築し、迎接都監の管理下に置いて使臣接待所として機能することになりました。
 
 
中国の使臣の出迎えは大概、勅使が碧蹄館(現在の京畿道高陽市に在った客館)に至ると迎接使などを派遣し、王は皇太子以下文武臣下を率いて慕華館に移動、迎勅儀に基づいて勅使を迎えました。
 
慕華館は元は慕華楼でしたが拡張され慕華館としました。
慕華館の前には迎恩門が建てられ事大外交の象徴とされました。
 
<ありし日の迎恩門>
 
使臣を出迎えた後景福宮に案内し、勅書を受け茶礼を施した後、太平館に留まらせます。
 
この時「下馬宴」を施し労(ねぎら)い、次の日は王が「翌日宴」を施して国事を議論し、帰国に際して「餞別宴」を施し歓送しました。
このような勅使迎送(げいそう)の手順に従って、両国間の懸案問題を処理するなど、太平館と慕華館は外交上の重要な機能を果しました。
 
<太平館跡>
 
太平館は壬辰倭乱で毀損し修築される事無く(使臣は別宮に宿泊)寂れて行き、他の施設などの資材として使用されました。
慕華館は中国への事大を廃止した1894年に廃止、1896年に独立館へと名前を変え独立協会の事務所となりましたが、その後日本統監部の建物として使用、現在独立館として復元されて居ます。
 
<迎恩門の門柱>
 

迎恩門は事大外交廃止後解体され、その側に独立門を建てた事が有名ですが、今も門柱が残り史跡となって居ます。

 

<独立門>

 

<参考文献>
한국민족문화대사전 
기타
 
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