<ドラマミスターサンシャインでのキムテリ>
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
73.鳥銃チョチョン(火縄銃)
FBでお知り合いになった方から
ドラマ「不滅のイスンシン」の貴重なDVDを頂き(有難う御座います🙏)、
暇を見て再視聴して居ますが、鳥銃(火縄銃)の話が出て来ました。
今回はこれについて。
1543年8月25日シャム(タイ)を離れて明に向かっていた中国船が日本の九州の南、種子島に漂流しました。
その船に乗っていたポルトガル人が日本に鉄砲を渡しましたが、これが鳥銃(火縄銃)でした。
長さは2〜4尺で中は空洞になっており、下は詰まっていて、横の穴に火薬と小さな弾丸を入れるとすぐに発射出来ました。
銃を発射すると、光を放ち雷のような音がして耳を防がないといけません。
この火縄銃は、日本人がこれまで使用していた武器より性能が格段に優れていました。
最近の研究ではそれ以前に東南アジアを通じて火縄銃が伝来していたとの説も有るそうです。
<鉄砲隊再現>
織田信長が1575年戦国時代の長篠の戦いで大勝をおさめた事が有名ですが、鉄砲伝来以降、日本では近江、紀州、堺などが鉄砲の主要生産地として栄え、多くの鉄砲鍛冶が軒を連ねました。
鉄砲が伝来した当初は、高価な武器であったため武士が用いましたが、普及率が高まるにつれ足軽の主要武器の一つになって行き、戦国時代末期には20万丁〜50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国だったそうです。
<ドラマ 不滅のイスンシンでの鳥銃>
我が国に鳥銃がもたらされたのは、1589年(宣祖22年)に、ファンユンギル黄允吉一行が日本に使臣として行った帰りに、対馬島主から幾つかの銃を譲り受けたのが始まりです。
その後1590年(宣祖23年)3月、日本の使者平義智が宣祖に鳥銃を献上しましたが、朝廷では特に関心を示しませんでした。
そんな中発生した壬辰倭乱は、銃の認識を根こそぎ変えました。
鳥銃を使用する日本軍に全く歯が立たなかったのです。
そして朝鮮では、戦争中に捕獲した鳥銃などを利用して軍事訓練をし、その結果壬辰倭乱が終わる頃には、朝鮮軍の鳥銃技術もかなり発展を遂げました。
<小勝字銃筒ソスンジャチョントン>
と同時に、政府は鳥銃の性能開発にも関心を持ち、1593年(宣祖26年)リスンシン李舜臣が、彼の指揮下で鳥銃と既存の朝鮮のスンジャチョントン勝字銃筒を折衝した新しいソスンジャチョントン小勝字銃筒を製作させて居ます。
<ドラマ不滅のイスンシン>
続いて戦争後には、
より良い鳥銃を保持する為、
1624年(仁祖2年)日本より
数千丁を輸入しました。
その後も着実に鳥銃の性能改善と量産に力を注ぎ、1655年(孝宗7年)には済州島に漂着したハメル(Hendrik Hamel1630〜1692)の一行を、ソウルに護送して訓練都監に配属させ新しい鳥銃製造に参加させても居ます。
<ドラマミスターサンシャイン>
このような努力の結果1657年(孝宗9年)には淸国で、朝鮮の鳥銃を輸入しようとするほど朝鮮産鳥銃の性能はアップしました。
鳥銃は朝鮮後期に於いても代表的な武器となり、旧韓末に後裝式ライフルが導入される迄、主要な銃器として機能しました。
<参考文献>
국사편찬위원회 우리 역사넷
한국민족문화대백과사전 조총
Wikipedia 火縄銃
아틀라스 조총, 동아시아 흔들다…포르투갈인, 일본에 전달
ブログ記事の書籍出版に向けて
現在クラウドファンディング挑戦中です。
ご協力ご支援お願いします。↓
#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画