<ドラマ 7日の王妃>
 

 

ワンポイントコラム

<韓国朝鮮 歴史のトリビア>

71.ピョシン(標信)

 

 

 

 

朝鮮時代に宮中の急変を伝える時や城門を出入りする時のしるしとして

「ピョシン(標信)」と言うアイテムが有りました。

いざと言う時の切り札と言えます。

 

制度は1508(中宗3)に施行し始められました。

 

ピョシンの材質は柳の木を使用し、文字は赤色で書きました。

表に命令を伝達する人の役職と氏名を書き

「信(シン)」の字を刻印し、信を厚くしました。

 

一面に御印(王の印)をつけて命令を発した人を明らかにし、命令を渡すときに伝達する人は宣伝官(王命を出納する側近武官)に限定しました。

 

ただし渡す命令は、表に書かれておらず、宣伝官の口から直接伝えるようにしました。

 

 

ピョシン(標信)は、3つの種類があり、

❶まず、王が直接渡すピョシンをソンジョン ピョシン(宣伝標信)と言い、円形のアイテムでした。

 

❷第二に、王が行宮などに外出し皇太子が王に代わって宮城を守る時に突発的な事態が生じた場合の緊急命令を伝えるためのピョシンをフィジピョシン(徽旨標信)と言い、規格は、長さが6cm、幅が4cmの長方形でした。

 

 

❸第三に、王が外出して不在である場合で皇太子が若いか居なくて、政務を代理しない王妃が宮城を守り王政を代理している途中に起こった突発事態の時のピョシンをネジ ピョシン(內旨標信)と言い、規格は一方の端がとがった木牌でした。

 

「経国大典」によると、王が軍国の緊急時、外出してヘンジェソ行宮・行在所にあるとき宮城に突発事態など緊迫した事項が生じた場合、

宮城を担当している皇太子はフィジ ピョシンを使って密かに父王に事件の顛末を報告して裁可を得た後、処理すると有ります。

 

ただしヘンジェソ行在所などが遠く遅滞することにより生じる、取り返しのつかない緊急状況においては、先に処理した後に結果を報告するよう定められていました。

 

<ドラマ 7日の王妃にて>
 

朝鮮時代にピョシンを使ったのは何度か有ります。

1508年中宗がパクイオンとユゲジャンに命じて軍事を率いて慶会楼に集まるようにした時

1514年チョンギョンガク尊經閣火災時に軍隊を動員した時

1545年仁宗が危篤時

1766年英祖が毓祥宮(行宮名)から還宮するとき反乱を心配して軍を交換した時

 

このようにピョシンは軍にひそかに下される命令で、宣伝官がこのピョシンを王から受信すると、すぐに目的地に走って行って軍を動員しなければなりませんでした。

そして命令を受けた軍官が怠ったときは、軍令で梟首の厳罰が下る規則になって居ました。

 

<ドラマトンイにて>
 

ドラマトンイで終盤、王妃とトンイがピョシンを使いクーデターを未然に防ぐ姿が描かれて居ますし、ドラマ7日の王妃で、ペクスンファン演じる晋城大君チンソンテグンが都城の閉門に遅れピョシンを出す場面が登場しますが、そうそう簡単に使用される事は無かったでしょう()

 

<参考文献>

한국민족문화대백과사전 ピョシン(標信)

 

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