<テバク不動産>

 

ワンポイントコラム

<韓国朝鮮 歴史のトリビア>

65.福徳房ポクトクパン

 

 

 

 

ポクトクパン(福徳房:発音はポンドッパン)と言う言葉が有ります。

不動産屋の事です。

ドラマ「ミスターサンシャイン」に出てました。

現代劇で『テバク不動産』と言うドラマも有りました。

 

<ドラマにて>
 

言葉が良いですね。福徳ポクトクとは。

家や土地を売買仲介する事を「福徳」に比喩(たと)えています。

しかし、今では「ポクトクパン」と言うと、日本語で言う「周旋屋」に似て、侮蔑した雰囲気が漂います。

 

元来「福徳房」と言う言葉は朝鮮王朝中期(18世紀初)に登場しました。

当時は가쾌家儈カグェとも言い、漢字は難しそうですが、「にんべん()に会う」で、人と会う仕事と言う意味です。

 

元々不動産屋を『チプチュルム집주름(家の折り目)』と呼びました。

チュルム(折り目)をつかむ주름잡는다とは村の事情をあまねく広く知ると言う意味で、ひとつの邑に長く住み、各家庭の内密な事情まで手に取る様に知る人だけが出来る仕事と言う事です。

 

<ミスマープル役の名優ショーンヒクソン>
 

何かアガサ・クリスティーの名「安楽椅子探偵」ミス・マープルの様ですね。

とにかく老人に向いて居そうです。

 

ソウルが朝鮮王朝の首都としてしっかり陣取った後、科挙に及第して上京する官吏の為にも家探しが必要でした。

世祖期に五家作統法で統首にチプチュルムを兼用させたりもしました。

 

そして朝鮮王朝末期に「ポクトクパン福徳房」と呼ばれるようになりました。

福を仲介すると言う意味です。

家や土地を「福」と見做したのです。

 

<イメージイラスト>
 

西洋でリアルエステートと呼ぶのと対照的です。

「ブローカー」には詐欺師のイメージが有るので一瞬怯みますが、語源はワインディーラーから来ているそうです。

 

イギリスなど西洋では情報、同行いずれも報酬が付き纏ったそうですが、我が国のそれは老人が杖(つえ)を付きながらノンビリ行き来し行った仕事でした。

ブローカーと言う事で嫌われ者のイメージが有った様です。

18世紀の記録には手数料を、売買価格の10%貰ったと有ります。

しかし、時を重ねるにつれ報酬も下がって行ったそうです。

 

報酬も基準が無く、『お礼に薬酒でも一杯如何ですか』と言った感じで、商談が纏まらなかろうが、それまでと言う事も有った模様です。

 

開港期以降ソウルでは外国人需要が増え、チプチュルムも増えました。

 勿論、彼ら外国人は土地に福を求めるでも無し、お隣さんに徳を求めるでも無し。

 

広い庭、築浅の瓦屋根や建物、丘の上の風通しの良い家を望み、家の来歴など興味は無く、ただ経済的価値のみを求めました。

  次第にその様な計量出来る価値が全面に出て来ます。

 

<写真 福徳房と書かれた幕の横で座る爺。木を削って居て何が本業か不明>
 

それに旧韓国皇室が追い討ちを掛けました。

1901年末、內藏院ネジャンウォン(王室財政管理官庁)はソウル市内のチプチュルムを集め、『한성보신사(漢城普信社) 』を設立します。

 

  会社の設立業務は住宅担保貸付で、破綻直面の国家財政立て直しの為の税金追徴が目的でした。

財政不足の度支部탁지부(財務省)に泣き付かれた내장원ネジャンウォンは、足りないお金を貸し出すだけで無く、足りない税金を追徴する方途を探ったのです。

 

ちなみに余談ですが、()と言う字は보신각(普信閣), 보성사(普成社), 보성학교(普成學校) など內藏院ネジャンウォンのお金で作られた施設だけに使用されたとの事です。

 

<大韓帝国 內藏院ネジャンウォン(王室財政管理官庁)>

 

旧韓国では地方官は不正蓄財に血眼(まなこ)でした。

韓国皇室までが手を貸した売官売職で官職を高値で手に入れた地方官は、元を取る為にも国家さえ欺瞞し、不正な蓄財に躍起となりました。

彼らが財産を日々価値が下落する貨幣で手元に置く筈は無く、不動産で持ちます。

 

內藏院ネジャンウォンは不正蓄財を告発され税金を追徴された彼らに、「普信社」名義で不動産を抵当にお金を融資しました。

そして、抵当権実行(つまり売り払い回収する業務)にはチプチュルムが必要です。

 

地方官が隠し持った不動産の調査、実所有者確認、売買などを手掛ける対価としてチプチュルム達は会社組織の一員となり、土地、家屋売買仲介業が独立した職業として認められました。

 

<写真 1948年のポクトクパンの爺。南大門区土地家屋紹介業組合に所属との幕だけ有り、()事務所は無し。未だに片手間でノンビリ>

 

1909年普信社の社員が2,000名で、ソウルの戸数が5万戸だったそうですから、チプチュルムは25戸に1人の計算です。

「韓城普信社」は韓国併合後の1911年、株式会社設立を目指すも挫折しました。

日本の支配下で彼らに入る隙間が有る筈も有りません。

 

<現在の不動産>

 

韓城普信社はどうあれ、チプチュルム達は日露戦争後、新天地の韓国に押し寄せる日本人の爆発的増加で好況を迎えました。

 

特に官吏の移住が集中したソウルで高級住宅の需要が増えました。

国が滅びた首都に住む謂(いわ)れも無く手放す彼らを売主・貸主に、

ひと昔前ならソウル生活など想像も付かない地方の卒夫や、学問の為に下宿を探す留学生などの需要。

資本主義化により家屋の商品化速度も速まりました。

 

<現在の不動産業者>

 

 チプチュルム達がポクトクパン福徳房の三文字の懸垂幕を下げ、道端に座り込んでお客さんを待つ様になったのもこの頃の話です。

 

彼らはポクトクパン リョンガム()として、街角隅に小さな部屋一間を構え、

同輩トンネ(同じ町人)と将棋や花札をさしながら、下宿や貸家を求める人々が来ると彼らの前で無駄口を叩きながら道案内を務めました。

 

<ミスターサンシャインで>
 

しかし、我が国の激動の時代を過ぎてそう言うのどかな風景も次第に変わり、ポクトクパン福徳房と言う、何か胡散匂い言葉はいつしか「不動産紹介業」に変わって行きました。

今では開発、企画、法律、情報、機動性、組織網など、大仰な文句が似合う業種になって居ます。

 

<参考文献>

한국민족문화대사전

복덕방의 유래

중앙일보 복덕방

복덕방의 유래 브랜치

 

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