<ドラマ ヘチ>

 

 

ワンポイントコラム

<韓国朝鮮 歴史のトリビア

30.科挙制度について〜科挙とその難易度

 

 

 

 

韓国時代劇ドラマに良く出て来る科挙制度について述べます。

科挙制度官吏登用試験で中国唐時代に始まり、朝鮮、ベトナムでも実施されました。

 

<ドラマ新米史官 クヘリョンより>
 

我が国では高麗時代、第4광종(光宗)期の958年が最初でした。

제술과製述科、명경과明経科、잡과雑科が実施されました。

 

朝鮮王朝時代にも高麗時代を踏襲して科挙制度を発展させ実施しました。

基本的に両班の身分を認定してもらうには4代以内に官で認める品階を受ける必要が有ったので必死に応試しました。

 

科目は文科武科雑科に分かれて居ました。

 

<科挙 問題>
 

文科文官になる為の試験で、小科소과と大科대과に大別され、小科はまた初試・覆試복시の2段階、大科はまた初試・覆試・殿試전시の3段階に分けられ、全部で5段階を経て文科及第급제として合格者を出します。

一応、両班のみならず良民も応試可能でしたが、ほぼ稀でした。

 

そして、朝鮮王朝時代の大きな特徴として、

ソオル庶蘖差別とされる、
文科試験の庶子(妾の子、またはその子孫)の受験が不可能でした。
これは朝鮮王朝社会に大きな歪(ひず)みを
産んだと言えます。

 

<学習参考書>
 

武科武官になる為の試験で、小科と大科の区別がない単一科として、初試・覆試・殿試の3段階で選ばれました。

こちらははるかに資格が緩和されて居て、良民で武芸の心得が有る者なども応試出来ました。

 

雑科専門職になる為の試験で、基本的に中人중인と呼ばれる世襲階級に限られました。

武科と同じく小科・大科の区別がない単一科でした。

 

<解答用紙>
 

科挙は定期的な式年試(3年に一度)が基本で、それ以外にも증광시(增廣試)별시(別試) 정시(庭試)などさまざまな科挙を施行して多くの人材を登用しました。

受験は男子のみで、ドラマ「新米士官クヘリョン」はもし女性の科挙が存在したらと言うファンタジー史劇となって居ます。

 

<ドラマ 新米史官クヘリョンより>
 

試験内容は儒教、性理学に関する事柄だったので、まず幼い頃から書堂서당にて勉強し、1516歳になるとソウルは四学사학,地方は郷校향교て行って勉強します。

 

↓↓ヒャンギョ郷校についてはコチラ↓

 

何年か後に科挙の小科に応試、これに合格すれば進士진사、生員생원となり朝鮮王朝時代の大学と言える最高の府、成均館성균관に入学する資格を得ました。

 

↓↓ソンギュングァン成均館はコチラ↓

 

<科挙の様子>
 

科挙に合格すれば、合格者のための儀式が王宮の庭で催され、王が紅牌홍패御賜花어사화を順位どおりに下賜しました。

その内トップ合格者は壮元及第장원급제と呼ばれ人々の尊敬を受けました。

今でも首席合格者を장원チャンウォン呼びます。

 

<壮元及第 チャンウォンクプチェ>
 

合格者の父母のための祝宴を官で催して、及第者たちは3日間街を回って祝祭を開きました。

 

気になる競争率ですが、文科の難易度は想像以上で全国数万人の応試者中、小科・覆試(最終試験)では200名を選抜。

大科・覆試では200名中たった33名のみ選びました。

 

<科挙の様子再現>
 

超高難易試験だったので、科挙試験は替え玉受験や他人の文を剽窃したり、本を持ち込むとか、試験問題を前もって知るなど、あらゆる不正行為が公然と盛行しました。

ドラマ「ヘチ」冒頭にもその問題が浮上して居ます。

 

<ドラマ ヘチより>
  

また時代が下ると共に、特に勢道政治期になると賄賂と情実、門閥や党派の所属によって及第が決定されたので、科挙制度は極度に紊乱しました。

 

1894年の甲午改革によって

科挙制度は廃止され新しい官吏登用法に移行して居ます。

 

<参考文献>

한국민족문화대백과사전

ソウル城下に漢江は流れる

 

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<ドラマ 新米史官 クヘリョン>