第2章 1 節 古代中世-⑥ 渤海と新羅の時代
共和国でも以前‘60年代迄は新羅(신라)が
三国を統一したと記述していましたが、
今はそう言いません(領土拡張と表現)。
名称も統一新羅→統合新羅→後期新羅と変化しました。
新羅より渤海(발해パルへ)を優先し、
「渤海と後期新羅時代」と呼びます。
1990年代から韓国でもこの時代を
南北国(남북국)時代と呼び始め渤海も新羅と
同等に扱う様になりました。
<渤海 首都 上京竜泉府>
共和国では積極的に南北国時代とは呼びません。
それは南北国と言う語がどうしても両国が正当性を争って対峙している印象を受け、
現在の我が国の情勢と印象が重なるせいかも知れません。
決して1つから2つに分裂した訳では無いので
確かに少々違和感が無くは有りません。
単純に並立していただけなので二国時代とでも呼ぶのがより正確かも知れません。
<渤海 遺跡>
日本では渤海を朝鮮史に組み入れる事を
未だ躊躇する傾向が有る様です。
それは住民に靺鞨(말갈)族が多く含まれており、
渤海滅亡の後は後継の女真族が中国の歴史に組み込まれて行ったせいかも知れません。
確かに渤海に於ける住民構成は靺鞨(말갈マルカル)族が6割〜7割と多数派だったようです。
朝鮮でも渤海史が自国史に組み込まれたのはそう古い話しでは無く、18世紀の事で、
本格的には1784年柳得恭(류극공リュドゥクコン)の「渤海考」が最初と言われています。
新羅中心史観で書いた「三国史記」の
著書金富軾(김부식キムブシク)ら新羅出身者にとって渤海は自らの正当性を示す意味で邪魔な存在で有り、その観点の影響で高麗では積極的に
渤海史を自国の歴史と扱う事はしませんでした。
李朝時代の実学者や日帝期に申釆浩(신채호シンチェホ)ら民族史学者が積極的に唱え、
解放後共和国の朴時亨(박시형パクシヒョン)先生らが中心となって説いたのが
今や定説となりました。
<ドラマ テジョヨン ポスターその2>
高句麗を自国史に組み入れて居る中国では
もちろん渤海も自国史として居ますし、
遺跡の復旧等に力を入れています。
2005年から首都上京(상경サンギョン)城の復元を行いましたが、南北学者は一切立ち入り不可にして厳重に管理したそうで、
少しでも隙入る間を与えまいとする意図が
有り有りと見えます(笑)。
挙げ句の果てにはロシアまでも渤海を自国史としています。
もはや領域が関係する全ての国が自己の物と
手を挙げて居る状態で、我々は物心着いた頃から朝鮮史で有る事を疑いませんが、
国際的にはなおも道は険しそうです。
<渤海国の領域と五京>
首都五京中4つが中国に有り、中心地を簡単に訪れる事が叶わないのが残念ですが、
幸い共和国にも五京の一つ南京南海部(남경남해부ナムギョンナムヘブ)が咸興(함흥ハムフン)近郊の北青(북청プクチョン)付近に位置しており
今でも発掘があるそうです。
簡単に歴史を辿ります。
新羅が高句麗故土を放棄した後も高句麗遺民達の戦いは続き、696年には営州(영주現遼寧省朝暘)でテジョヨン大祚栄の指揮下に暴動を起こし立ち上がりました。
<ドラマより>
そして698年ついに천문령(天門嶺チョンムンリョン)戦闘で唐を破り동모산(東牟山トンモサン現吉林省敦化付近)を首都に震国(진국チングク)を建国しました。後に唐も承認し渤海郡王の名を送り正式に渤海(パルへ)と名乗る事になります。
以前名前の由来でも書きましたが国書には「高麗」と記しました。
正に高句麗の後継を名乗った訳です。
政府機関として3省6部を置き全国を15 府に、5京を置きました。
その中で一番首都としたのが上京(상경サンギョン)と言う訳です。
<渤海 遺物>
封鎖政策及び国家転覆を図る唐と新羅に対抗して日本との貿易を活発に行いました。
約200年間のうち交易の為の来日はトータル34回にも及びます。
渤海と言えば太祖大祚栄(テジョヨン대조영)を
主人公にした韓国ドラマ「テジョヨン:大祚栄」が人気を博しましたが、
高句麗から繋がるスケールの大きなドラマとして描き観る価値が有ります。
<ドラマ チュモン>
2006年中国の東北工程に対抗する形で作られたドラマ「チュモン朱蒙」「ヨンゲソムン淵蓋蘇文」と並ぶ高句麗ドラマ三部作ですが、
134話の長期大河ドラマとなりました。
<ドラマ ヨンゲソムン(淵蓋蘇文)>
前半50話まで唐の戦争など高句麗の歴史に
時間と予算を割き、
後半息切れ気味になるなど
不安要素は有りましたが、
最終的に平均視聴率27%を叩き出しました。
主役は数々の王を演じた国民的俳優최수종チェスジョンで、
彼が演じた王もしくは主人公の遍歴を辿るのもまた一向です。
余談ですが、彼のニックネームは
「高宗コジョン 純宗スンジョン チェスジョン」
です。
朝鮮王朝国王とのジョン繋がりが笑えます。
<ドラマ テジョヨン出演陣>
扱いが小さくなりはしますが、
新羅に於いても7世紀中央官庁が整備され、
地方には9州5小京が置かれました。
全国の土地を調査し丁田制度(정전)と呼ばれる課税制度を作り支配しました。
近年日本奈良の正倉院から村の台帳「帳籍(장적)」が発見され話題になりました。
<チャンボゴを描いたドラマ海神ヘシン>
(こちらも主役はチェスジョン)
商業も発達し新羅商人の居住地として
唐に「新羅房」と呼ぶ居留地も作られています。
張保皐(장보고チャンボゴ)の様な国を跨いで活動するスケールの大きな人物も現れて居ます。
仏教文化が花開き、仏国寺、瞻星台(첨성대チョムソンデ)など今も残る文化遺産が創造されました。
< 新羅 慶州 石窟庵>
概して長寿な我が国の歴代国家の中でも
最も長寿な国新羅、小国時代から何と
1000年余りも存続しました。
後期新羅の領域がほぼそのまま高麗に引き継がれた為、否応無く政治システム、行政など
多くの影響を今に与えております。
渤海と新羅の間には大きな衝突も無かった様で、交流や交易がどうだったかは記録が乏しく定かでは有りません。
しかし、ライバルで有った事には
間違い無い楊で、国際的な場で優位を保つ為に今で言うロビー活動を
繰り広げていた事が窺えます。
<新羅 慶州 仏国寺>
その頃渤海の政府や民衆が新羅と
どう関わりが有り、どう言う感情を抱いていたのか等の史料が発掘されれば、
より我が国の歴史に於いて渤海がどの様な位置を占めるかも解明され、多角的に研究が進むと思われます。
↓↓歴史篇まとめです。
お好きな時代をどうぞ↓↓↓
<参考文献>
朴時亨 발해사연구를 위하여
조선력사연구소 조선전사
山川出版社 世界歴史体系 朝鮮史1
朝鮮史研究会編 朝鮮の歴史
朝鮮史研究会 朝鮮史研究入門
平凡社 韓国 朝鮮を知る事典


















