​6月2日。

叔母の通夜が執り行われた。
個人的には直葬で十分だという気分だった。
だが、叔母の弟が「葬式をしてあげたい」と言うので、その気持ちを尊重することにした。
​それにしても、お葬式というものは、なぜあんなに小難しく儀式化するのだろうか。
昔はもっと簡単だったと思う。
参列しながらどうしても疑問が拭えなかった。
​叔母が生前、団地に住んでいたこともあって、当日は「団地パワー」とでも呼ぶべき凄まじい繋がりを目の当たりにした。
団地の人のみで20人ちょいもの人が集まってくれたのだ。
オレだったら誰も来ないだろうね。

これだけのコミュニティがあるのなら、一人暮らしの高齢者が団地に住むのも悪くない、と素直に思った。
まあ、今の年配の世代だからこその絆であって、今の50代以下の世代はもっと冷めているのだろうけれど。

​今回の式に来たお坊さんは、普段家に来るような「キエー!」と大声を出すタイプではなかった。
信じられないほどリズムに乗るタイプのお坊さんだった。
使っている木魚がまるで木琴のようなタイプで、叩く幅が狭い。
そのため、お坊さんのテンポが乗ってくると、体がクネクネと動き出し、ついには手元が狂って木魚ではなく机を叩き出す始末だった。
​その姿を見ていて、ふと思った。
原始人は、きっとみんなで地面を叩きながら死者を送り出していたのではないだろうか。
それと同じで、心を込めて送るなら「何を叩いてもいいんだよな」と感じる場面だった。
​通夜自体は無事に終わった。
しかし、翌日は台風が直撃するという予報が出ていたため、急遽、斎場に泊まることになった。
メンバーは、母、母の弟、そして姉。
テレビもラジオも何もない、ただ寝るしかない部屋だ。
案の定、母の弟と姉のいびきが部屋中に響き渡る。
まあ、こちらもハナから寝ようとも思っていなかったので、静かに夜が明けるのを待った。
​明けて6月3日、告別式。
外は台風だし、昨日ほどの人数は来ないだろうと高を括っていた。
だが、そこはやはり団地の絆だった。
「火葬まで立ち会いたい」と、多くの人が残ってくれた。
​そして葬儀のメインイベントとも言える、棺に花を入れる瞬間がやってきた。
そこで叔母の弟が「早すぎるよー」などと泣き言を云々カンヌンと言い出した。
叔母はもう認知症でほとんど死んでいるような状態だったし、年齢も84歳だ。
何より、「お前、警察に迎えに行ってないだろ」という事実が頭をよぎり、猛烈にイライラしながらのお別れとなった。

​13時頃、火葬の待ち時間となり、昼飯が運ばれてきた。
出てきたのは、なんとシウマイ弁当。
普通、斎場の弁当といえばお洒落な仕出し弁当のイメージがあるが、まさかのチョイスだ。
だが、シウマイ弁当といえば俺の中で「弁当界No.1」の絶対王者である。
このチョイスには大満足だった。

​待ち時間を利用して、現場の岩男たちに連絡を入れる。
台風の被害状況を確認したところ、「そうでもない」とのことで一安心した。
やはり台風とリンクしない仕事の人は無理せず休むべきだし、リンクしてしまう仕事の人はしゃあないな、と改めて思う。

​その後、箸渡しをして全ての儀式が終了した。
そういえば、久保山(火葬場)では無かったイベントや手順がいくつかあった。
斎場によってルールややり方が色々と違うものなのだろうか。

​■ 今日のまとめ
​葬儀:叔母の通夜・告別式。叔母弟の希望を尊重して一般葬に。団地の繋がりで20人以上が参列し、団地コミュニティの強さを実感。
​お坊さん:リズムを刻みすぎて体がクネクネし、最終的に木魚ではなく机を叩き出す斬新なスタイルに原始の葬送を想起。
​台風:台風直撃予報のため斎場に前泊。テレビなしの部屋で身内のいびきに包まれる。仕事側の岩男たちは被害なしで一安心。
​別れと昼飯:叔母弟の言動にイライラしつつも無事に火葬。昼飯のシウマイ弁当(弁当界No.1)に満足し、久保山とは違う火葬場の作法に首を傾げつつ終了。