サンミュージック 40th party! | いちファンの♪挑戦して行こう!♪

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2013年7月7日
祝日本武道館100回記念!

こちらも 40th partyビックリマーク

おなじみの相澤会長のサンミュージックが創立40週年クラッカー

なにか、いちファンもうれしいです。おめでとうございます合格

サンミュージックプロダクション創立40周年。

11月27日、サンミュージックは創立40周年を迎えました。
グランドプリンスホテル赤坂にてサンミュージックプロダクション創立40週年のパーティーをおこないました。

サンミュージックNEWS


いちファンは、今年の7.21seikoの夏コン、日本武道館ファイナルクラッカーの時に、スタンドでそっとseiko恋の矢のステージを見守るスーツ姿のお方を拝見しました。どう見ても…!?。「涙がただ…」音譜のPVが流れた時、いちファンはその時、そっとその方にお声をかけました……。「お仲間も後ろから、こっそりついてきた汗」。

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【お知らせ】 (2007.2.8)

この度、株式会社ファンティックは音楽制作部門を株式会社サンミュージックプロダクションと業務提携することになりました。
尚、マネージメントに関しては、今まで通りファンティックが行ってまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
株式会社ファンティック
代表取締役社長 蒲池一子
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「2007.2月の記事」

 歌手松田聖子(44)が18年ぶりに古巣に復帰する。個人事務所「ファンティック」がデビュー当時に所属した芸能プロダクション「サンミュージック」と業務提携を結んだことが7日、分かった。日程管理などマネジメントは個人事務所が担当しながら、音楽制作部門で支援を受ける。聖子は「初心に戻り、良い歌を歌いたい」と話している。

 古巣と提携する聖子の談話は、サンミュージックの担当者を通じて発表した。「このご縁を大切にして、初心に戻り新たな気持ちで良い歌を歌えるよう、一生懸命頑張ります」。

 80年に歌手デビューした聖子は、89年まで同プロに所属。その間、生み出したヒット曲は「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」「赤いスイートピー」…と数知れず。聖子の代表曲はこの10年間に集中している。しかし、89年6月末に、突然独立を表明。聖子の母を社長とする個人事務所を設立した。「円満退社」を強調したが、結局は失敗した海外進出を目指す聖子と、同プロの溝が埋まらなかったのが原因とされた。

 デビューから所属する大手プロから独立して、Uターンするケースはほとんどない。プロダクション側が「裏切り」と受け取る風潮が強いからだ。異例の復縁は聖子が昨年末、同プロ相沢秀禎会長を初めてディナーショーに招いたのがきっかけだった。ステージ上で「デビューのころからお世話になった会長さんが来てくださいました…会長さんがいたからこそ、私も26年頑張ってくることができました…」と話し、同プロ時代のヒット曲を歌うと、涙をこぼした。

 もともと相沢会長は、聖子が独立直後、一時的に連絡業務を請け負うなど、手を差し伸べていた。18年ぶりに聴く生の歌声に感動し、「彼女の声は素晴らしい。まだまだ30代の輝きがある」と、支援の方針を固めた。

最近の聖子はヒット曲こそないがコンサートやディナーショーの動員力で、個人事務所の経営は順調だった。娘の神田沙也加(20)も芸能活動を再開して、はた目にはママドル健在を印象づける。それでも、欲しいのは圧倒的な人気を誇った黄金時代の輝きなのか。古巣復帰は、ノスタルジーだけが理由ではなく、どん欲な歌手人生を表している。夏前にも新曲を発売する。

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「2006.12月の記事」

“クリスマスの女王”として全国を駆け回る歌手、松田聖子(44)。今年のディナーショーでは、ある異変が、ちょっとした話題になっている。

 11月23日のホテル新潟からスタートして、12月26日のホテルニューオータニ大阪まで13都市を回る長丁場。その佳境ともいえる東京・新高輪プリンスホテル「飛天」(17-19日)のショーは、チケットがアーティストとして最高額の4万8000円だったが、「即日完売で招待券も一切なし」(関係者)。

 ところが、聖子自ら特別に招待した人物がいた。かつての所属プロダクション、サンミュージックの相澤秀禎会長(76)=写真左=と、聖子担当のプロデューサーだった女性役員だ。

 聖子は2人のもとを離れて16年になる。自分の催しに相澤会長を招いたのは初めてで、周囲からは「聖子もオトナになったな」といった声が聞かれた。しかも、招待当日、聖子の様子が明らかに違っていた。

 ショーの終盤。聖子は「私事ですが…」と、ファンに断りを入れて話し始めた。「今夜、デビューの頃からお世話になってきた事務所の会長さんが、この会場に来てくださいました」

 名前こそ出さなかったが、熱狂的なファンはすぐに「相澤会長」だと認識して、一瞬静まり返った。聖子は語り続けた。

 「会長さんがいたからこそ、私も26年がんばることができました…」

 着席していた相澤会長の目頭は真っ赤だった。

 聖子は、「瞳はダイヤモンド」を歌いだす。が、途中で感極まったのか、涙が止まらない。

 会場からは、「聖子ちゃん!」「がんばって!」とアイドル時代のような声援が巻き起こった。何とか歌い終えたものの、続く「赤いスイートピー」では、サンミュージック時代を思い出したのか、声も出ない状態になっていた。

 終了後、楽屋に相澤会長と女性役員を招き、硬く握手を交わしたという。

 長く取材を続けてきた音楽誌編集者が言う。

 「いつも強気モードの聖子にも、実は苦しいことや辛いことが山ほどあった。やはり最後に頼れるのは古巣。すっかりノスタルジックな気分にひたったんでしょう」
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さて、明日の今頃は、いちファンは、アゲアップアゲアップしてますビックリマーク

楽しんできます恋の矢ラブラブ音譜ドキドキクラッカー