ふらふらっと、エドワード・ヤンの映画を見に行くのだった。


約30年前にも見た、『エドワード・ヤンの恋愛時代』。


キノシネマみなとみらいに行こうと、横浜駅から歩くと…

晴れてるのに、豪雨。

そして、すぐやむ。


しばらくすると、また、晴れてるのに、豪雨。なんか、その繰り返しとゆう…


熱帯のお天気。










いまでは、「エドワード・ヤンだいすき!」なわたしなんですが…

そうなったのは、わりと最近かもしれない。




昔、とゆうのは… 30年ほど前に。

『エドワード・ヤンの恋愛時代』も、その前作『クーリンチェ少年殺人事件』も、ちゃんと見てたのに。


そのあとの、『カップルズ』もリアルタイムで見た。



しかし、エドワード・ヤンこそが、1990年代における、最強の映画作家だとは…

気がつかなかったのね。


ヲレ、鈍すぎ。




そのうえ、

無知だったので、5年くらい前にね…

エドワード・ヤンが、盟友・侯 孝賢と組んで作った… 1980年代の映画『台北ストーリー』をはじめて見て、ビビったとゆう。


当然ながら、80年代からすでに、彼はものすごかったんだと…

5年前に、ようやく知ったのだった。


そんな、映画マニア。自称。






エドワード・ヤンが死んだのは… いつだったのかも忘れている。

15年前か、20年前か?



いま調べると、2007年とあるから、16年前になる。




完全にあとづけで言えば…

現代映画界、最強の男、没す。となる。











エドワード・ヤンと侯 孝賢。


おない年の、盟友。イン・台湾。




ふと連想するに、

日本だと、長谷川和彦と相米慎二みたいな関係か?


ちょっと違う。



そりゃそうなのだが… 相米慎二は、ほぼエドワード・ヤン&侯 孝賢と、おない年。

そこに、北野 武も加えれば、東アジア団塊の世代の映画作家が…

それぞれ、なんの関係もないのに、ひとつのグループのように思えたりする。



そんな単純なハナシ? だいじょうぶか、おい。






北野武 1947年1月18日

侯 孝賢 1947年4月8日

エドワード・ヤン 1947年11月6日

相米慎二 1948年1月13日



生年月日は、以上になるけど…


つまり、北野 武と相米慎二は、ちょうど1年、年の差がある。



とりあえず、このふたり、なんの関係もないけれども。





おっと忘れてた…


長谷川和彦 1946年1月5日


だそうです。







長谷川和彦こそは、わたし・五円木比克の最も好きな映画作家・黒沢 清を…

映画業界に、ひきずりこんだ、まさに偉大な男。




1980年代初期に、長谷川和彦の仕切るディレクターズカンパニーに、相米慎二も黒沢 清も在籍したワケだけど。


その前に、長谷川和彦監督作品『太陽を盗んだ男』に…

相米慎二も、黒沢 清も、助監督などで参加していたのはゆうまでもない。





その後、長谷川和彦は、まったく映画を撮らずに沈黙。


相米慎二は、2001年に死去。享年 53。



黒沢 清は、いまだ健在。













『エドワード・ヤンの恋愛時代』を見て、キノシネマみなとみらいの外に出ると。

午後1時。


桜木町駅前のロータリーから、バスに乗る。

上大岡まで。




そこで、また映画を見ようとするも、時間があわず、断念。


なにしに行ったのか。上大岡。





帰宅して、酒などのむ。


7時から、坂口恭平と宮台真司の対談を、スペースでリッスン。



このブログ、ヲレが、坂口恭平さんの本を読む… そして、感想など書く…


とゆう趣旨があったのだが、きょうは坂口宮台対談のハナシを、書くコトにする。



といっても、内容をあまりおぼえていない。



途中、寝落ちもした。


何分くらいかなあ?



そんなコトは、ど~でもいい。




わたし・五円木比克より、10歳年下の… 坂口恭平さんに対して。

宮台パイセンは、終始、敬意をもった話し方なのがよかった。





実は、もクソもないが… わたしは宮台真司の本とか、読んだコトがない。



しかし、そこはパイセンなので、「宮台真司、超優秀だよ」とは伝え聞く。



ど~も、その、超優秀説は本当だと感じる。



その超優秀な宮台パイセンが、10年ほど前に、「坂口くん、君は天才だよ」と言ったらしい。




それはさあ、ヲレみたいな人間にもわかるコトだけども。



坂口恭平すごすぎって。






具体的に、ど~すごいの? とゆうハナシは、もう今日はしません。



書くのに疲れた。はあ…










         坂口恭平親子