◼️言葉が、現実をつくっている。

そう、僕は書いたのね。前回のブログで…


しかし。

言葉は幻想とゆうか。言葉を、物理的にゆうと「文字」だったり「音声」なんだけども。

そこに、概念 (意味) をのせていますよね?

その、意味。

つまり、言葉の定義するトコロは、実は幻想、妄想ですから。

かんたんに誤解を生むし… あいまいであやふやですよ。


幻想を、とりあえず生きる。それが、人それぞれの現実。




◼️脳は、「知っている」と認識したモノを、いちいち意識しない。

「それは見たコトある」「知っている」から、認識を省略する。

でないと、疲れてしょうがない。脳が。

とゆうのは、苫米地英人先生の本で読んだ知識。







◼️養老孟司先生によれば。

現代の、都市の住人は… 変化を嫌うらしい。


固定化してくれと。

ずっと固定化してくれてないと、困るよと。

それは、道路やらインフラやら、もそうだし、人間自体も変化なんてしなくていいよと。


だけど… 自然は変化するから。と、養老先生。

子どもは自然そのもの、ともおっしゃる。

自然、生命、身体。













2022年 8月 13日
土曜日





台風。

ボクが田町の東口の日高屋にインしたのは、am11時すぎ。

インした、そのあとすぐ、雨が降ってきた。













それから、ゆったりと午後をすごして。

午後5時ごろ。

なんと、また日高屋にインしたのだった!


あんた、日高屋好きすぎやろ。












いやー。そうでもないよ。

と言ったトコロで、説得力ゼロ!



まあいいさ。

そんなコトは、ど~でもいい。




このあと。

いつものように、うたかさん邸におじゃまして。

酒をのみながら…

「わるいんですけど、プレイリスト聴きませんか? 僕の作ったやつ」と懇願して。

何時間か、プレイリスト。聴いてもらったとゆう…


うたかさん、ホンマにありがとうございますぅ!(泣)













これで気がすみましたので、もう、当分、「プレイリスト聴いて聴いて!」とかは言いません。



マジで?














◼️青山真治のハナシをします。


彼が死んだのは… 今年3月でした。


それで。

代表作の、『ユリイカ』、そして『サッド ヴァケイション』が再公開されて。


こんど。

9月に、『月の砂漠』などを上映するのね。

まあ、その上映は、1回こっきりだけども。







 







↑の記事。ちょっと前のモノだけども。


あのね。

青山真治の『Helpless』は、ニール・ヤングとゆうよりも、映画『Reckless』が元だよ、とある。



はぁ~。そういや、青山さん好きだったよな。この監督。

って誰だっけ。


ジェームズ・フォーリーかな?



ま、見てませんからね、僕は。『Reckless』。すなわち、『俺たちの明日』(1984)



そんなコトは、ど~でもいいじゃないか!


って、そんなワケないだろ。







◼️いやねえ、見てないといえばね。

7年前の、WOWOWかなんかのドラマ『贖罪の奏鳴曲』も、見てないんですわ(泣)





 






↑すると、古谷利裕さんが…


前にも見たけど、あらためて見直したら『サッド ヴァケイション』の続きのようでもあると書いてました。


『ユリイカ』の続きみたいだ、ってゆうのは、以前からわかってたけどもって。






         ↑『贖罪の奏鳴曲』(たぶん)






けどまあ、これ、でも…

脚本が、西岡琢也だしなあ。青山真治が書いてるんじゃないんだけどって。


古谷利裕さんは、そのへんクエスチョンだ… って書いてますけどね。




そんなん言い出したら、あの『共喰い』だって、そうでしょ。

原作を、荒井晴彦が脚色…

してるけど、ど~見ても『共喰い』は青山真治ワールド。






◼️だから。

原作とかに、まんまと乗っかったってコトだと思いますよ。



それは、純度とか、オリジナルとかにこだわれば…

「これ、青山真治作品って認識でええのかな?」になるけども。


そこは、僕なんか気にしない。

 

いや、ホントはね。「監督だけが作家じゃないんだよ。映画は!」って。

いつもは、主張するスタンスなのね。


なんだけれども。


ケースバイケースでね、「やっぱり監督の世界を実現してるよね… この作品」

と、認識する場合もありますよ。







◼️ともあれ、はやく『贖罪の奏鳴曲』を見なければ!


なんつったって、北九州三部作(四部作)の続きだってんだから…


見ないとハナシにならん!





以上。