『エスケープ・フロム・LA』








私の視点。


それは、やはり… チンケなもんですわ。


もちろん、私は私にとって、たいせつな、かけがえのない命なんですよ。

なんだけれども、死ぬコトは決定している。





個別の、命。

かならず死ぬように設定、設計されているでしょう?


それは、ど~にもなんないんだけれども。


世界全体は、止まらないのね。


個に対する、種、その命は長いとゆうか。




だから何だよってゆうと。


つまりは、動いているんだと。

動物も。植物も。


そして、映画も。






↑に貼った、ジョン・カーペンターの『エスケープ・フロム・LA』。


これは、25年くらい前の映画なんだけど。

この大傑作の、元になってるオリジナルのね、『ニューヨーク1997』のほう、そっちをこの前見たらね。

ものすごく、おもしろかったのね。




なんでかってゆうと。

カート・ラッセルが、ずっと動きっぱなしなんですよ。

ずーっと、最初から最後まで動いてるの。




それは、命令されて、変な注射もされて(泣)
仕方なく…

大統領を捜索するからなんだけどね。



これが、やっぱりいいんだなー、と気づいた。

ずっと止まらずに動くコト。









          『都会のアリス』








きのう見た、ヴィム・ヴェンダース『都会のアリス』も、ずっと動いているんです。

車で。


まあ、ジョン・フォードの『捜索者』なのか知らないけども (たぶん違う!)



なんか、探してるのね。

きのうも、かなり寝たから、よくわかんないけど(泣)



そして、わたしは思った。



「あー、こんな初期から、捜索やってたっけか!」って。








             『ことの次第』







『都会のアリス』の、捜索のコトはすっかり忘れてたとゆう… ハハハ。



あのね。


『ことの次第』の後半。

それと、『パリ、テキサス』の後半ね。


車での捜索、やってるでしょう。




『パリ、テキサス』は、追跡して、目的の女性を発見して。

鏡(マジックミラー)をはさんで、対話する。


「ここでの動きのなさは、ど~なんだ?」


ってなるんだけども。








             『パリ、テキサス』








動き。


モーション・ピクチャーは、動きつづける。





ヴェンダースの好きな、小津安二郎もね。




動きだったり、変化(結婚)だったり、相当意識していたと。



小津の場合、ほぼ家庭が舞台なんだけれども。


結婚すると、別の家庭に移動しますよ。

その動き、変化が主題なのかなって。



動かない人も、当然いるワケでね。

動きがないのは、つまらんなーとも思う。


娘が結婚して、いなくなって、「俺はずっとこの家にいるのか」って。

つまらんなー、と (違)




『東京暮色』の、原節子。

結婚してるのに、実家に戻ってくるでしょう。

それで…
最後に、たしか、また旦那のトコロに戻るって。


その動きの、おもしろさ。


山田五十鈴は、旅にでるしね。



まあ、小津の場合、家を舞台にしても、なんだかんだアクションをやる。


さらに、正面からの構図の切り返し。

あれは、何なんだってゆう。


会話ですよ。

そりゃそ~だろ (笑)





さっき、『パリ、テキサス』の鏡のシーンの動きのなさを問題にしたけども。




ど~なんだろうね、小津の会話は (丸投げ)






ま、きょうは、カーペンターと小津のおもしろさを語ってみました。