「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。
「勇気づけて躾ける」
第23章 自立を促す
「子どもが自分でできることを親が代わりにやってはいけない」
もうこの一文に尽きます(笑)
「子どもは成長いていくにつれ、自分や他人のためにますます多くの事がらにチャレンジしようとする生まれつきの性癖を持っています。」
んだんだ。
なぜそれを感じられないか・・・ 学んだんでしょうね。無力さを。
学習性無力感
「ところが、この性癖は恐怖や保護、親の奉仕などによって妨げられてしまう場合があります。」
そう、こういう中で学んだんですね、無力感。
「そうすると子どもは自信を失い、自分は弱い存在なのだという否定的な価値観をたちまち抱くようになります。」
たちまちです、たちまち。
「自分はひとりでは何もできない無能な人間なのだと思い込み、自分の能力を過小評価してしまいます。」
指示待ち族・・・習ってないからできません族・・・
「そうして、他人から奉仕を受けることに喜びを見出すようになり、ただでさえ欠落した自立の精神や自信がますます失われていくのです。」
まだ本人が自覚的だったらいいですが、気づいていないのにこうなると、奉仕を受けられないことに対して不満を言うようになってしまうというバッドスパイラル!
「私たちはともするとわが子の能力を抑えつけ、無能さを助長してしまいがちです。」
これは過保護の章でもでてきまたね。
「赤ん坊がひとりで歩けるようになったときと同じプロセスが、子どものあらゆる場面での発達において繰り返されなければなりません。
母親は一歩うしろへさがり、赤ん坊から離れた場所(わが子に手が届く場所)で手を差し伸べます。
このようにして、母親は赤ん坊を勇気づけるのです。
彼女はわが子に歩くことのできる「ゆとり」、すなわち母親の助けを借りずに動くことのできる場を与えました。」
確かに!! ずっといっしょに寄り添っていたら、きっと子どもは歩かなくなるような気がします。
もういいよ!お母さん運んで!的な。実験できないので、証明はできませんが(笑)
「何に対しても言えるのです。
私たちは一歩下がって子どもにゆとりを与え、決して余計な手出しをせずにわが子を勇気づけてやらなくてはいけません。」
勇気づけ。
それは、少し離れた場所で見守ること。
そして、その距離は年齢が上がれば上がるほど遠くする。
思春期には、見えないくらいに。
徐々にそうやって遠ざかって行けば必ず見えなくなっても大丈夫。
子育て四訓
1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ 手を離すな
3.少年は手を離せ 目を離すな
4.青年は目を離せ 心を離すな
これを思い出す。