読書感想文 | 「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

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読書感想文

昨年も同様のことを書いたような気がするが、今年は講座としてやるので改めて。


昨年の夏期学童で、保護者の方からの要望により読書感想文のサポートをしてみた。

読書感想文といえば、私にとっても特にうれしいできごとでもなく、本を読んでも何を、どのように書けばいいのかが分からず戸惑っていた記憶を持っている。

そもそも自分の感想を評価されるということ自体にあまりよい思いを持っていなかったように思う。

特に「読書感想文の書き方」ということを習ったという記憶もない。

大人になってみると、国語の授業のなかで習ってはいることはわかったのだが。


そこで、前回受け持って思ったことが3つかある。

・子どもは自分の持っている感情は、みな同じ感情だと思っていて、特別ではなく、だから感想はないと感じているのではないか?ということ。

犬が死んでしまう話を読んで、自分が悲しいと思えば、ほかのみんなも悲しいと思うのだろうと思っているのではないか。それが当たり前でしょ、と思っているのではないか。

だから感想といっても大したことではないと感じてしまうのではないか。

しかし、そこにはそうは思わないという人もいる。それを伝えると、そこで初めて、あぁこれは自分の感想なのだ、と感じることができるのではないか、と思った。

そう考えると、読書感想文は、自分の気持ちや感情を感じることができるのではないかと思う。

そうやって、自分の感情を確認し、ほかの人からそれを無条件で認めてもらい、安心感を持つことによって、ほかの人の感情も受け入れることができるのではないかと考えている。

・まずは型!

感想なのだから、自由に書いていいんだよ、と言われたところで、もともと自由を制約するものがなければ、なにが自由なのかきっとわからない。やはりまずは型をしっかりと身につけることが大切なのではないか、ということ。

個人的感想だが、読書感想文は、算数でいうと、いきなり文章問題にぶち当たっている感じがする。
もっと計算問題的なものが必要なのではないかと思う。
スモールステップだ。

武道の世界では、守破離という言葉あるということだ。
なにごともまずはきちんと型を身につけることが大切だと思う。

得意な人は放っておいてもやるから、必要ないのかもしれないが、苦戦しているという時点ですでになにかの対策を打ち出したほうがよいのだろうと思う。スモールステップで。

自分は書くことがあるのだという認識。
書くことができるのだという認識
何枚も書けるのだという認識。
そして、書けるとうれしいし、周りの人もなんだか楽しそうだ、という経験。
そういうことをひとつひとつ一緒に紡いでいくといいのかもしれない。

最後になるが、一番良かった点。これは生徒に対してではなく、自分に対してよかったことだ。

それは、子どもに対する尊敬の念を高めてくれたこと。

子どもとはいえ、一人の人間として、本当にさまざまな視点でものを観ているし、感じている。
おとなには見えていないものが見えていたりもする。

もともとそう考えて毎日生徒と向き合っているのだが、そういう自分の根本的な考えを強化してくれた気がした。

おとなはこどもをみくびっているのではないか?
「まだ子どもだからできないのだろう・・・」
「私が教育しなければ、なにもできないのではないか?」

しかし、学び合いに関わる先生も言っていたのだが、
「子どもは自分くらいには有能である。」

頭ではわかっていても、体感しなければそうは思えないかもしれない。

読書感想文はそれを体感できるよいツールであると感じた。