イギリス ロンドン🇬🇧
その中心は東京と同じくらい、人、人、人の洪水。
おそらく多くは観光客なのであろう
街は紙屑が舞い上がり至る所に
ダンボール箱の家なき人が存在する
教会はこれらの家なき人々が
寒さを凌いでいるのでミサが始まると
酔っ払いのイビキの高音で
司祭の説教が消し飛んでしまう
しかし、だれも彼らを追い出さない。
それどころか慈善団体の人が
温かいスープとパンを一日に一食提供していた。
みかん箱くらいの大きさの段ボールの中に
お風呂に入るよう体を沈めて寝るのは
窮屈ではないだろうか。
英国の社会福祉法では国民の全員に失業保険が適用されている。三十日間就業しない人は『強制労働収容所』に連行するというDDRの政策とは異なり、失業保険のお陰で彼らは嫌な労働はしない。保険をもらって遊んで暮らす。しかし彼ら〔彼女〕も収入があるとお酒を買って呑んでしまうので家賃が支払えなくて追い出されてしまう。これがほとんどのケース。
しかし、この人達は初めから物乞いではない。
ごく普通の人達であり高等学校や大学を卒業した人
芸術家や文化人として、一時は脚光を浴びた人だっている。
一体、彼らは何を考えながら生きているのだろうか
家なき人というのは世界共通である。外見は酔っ払い、中毒、無精髭、垢、鼻水。心の中は「生」への願望と「死」への誘惑。善悪という二律背反の生々しい人間性が潜む。
捨てたはずの過去や
自分で自分を許せない罪を背負い
寂寞〔せきばく〕感と絶望感の中で
自分の心と闘っている
この国の教会では夕方になると恥も躊躇いもなく食を求めて人々が集まってくる。神に祈りを捧げてスープとパンを見つめる姿は平和そのもので、いつもと同じ洋服に身に纏いながら談笑さえ交わされる景色は修道院に似ているかもしれない。
どんな汚い手段を使っても強欲に手にしようとする人間もいれば、明日は生きているかどうか分からない人々が、一杯のスープとパンで語らう姿を見ると、被造物を全く持たない彼らの生き様は人間のもっとも「誠実」な生き方なのではないかと感じてしまう。
「人間」をやめた誠実
神は人間を自分に似せて作り、仮住まいであるこの世で、大いなる悲しき肉体の構造の上に、永遠の至福への道を魂には開かれているのではないかと思う。
多くの人々に神の音色を通して分かち合い
平和が続いていきますように
1988年(昭和63年)
キリスト新聞から一部引用
筆者:Mari Kodama
編集:Ichi Iwahara
資料元:IOFJ組織委員会
※ International Organ Festival in Englandの
パンフレットとロンドン議長の直筆
※ International Organ Festival in England
Pamphlet or memo is handwritten
by the London Chairman