今年に入り

コロナウイルスと
共に過ごす事が軸になり、

世の中には
ネガティブなものが目立っていて
不穏な空気が流れていますね。





"誇り"という光が
大切なものの一つとして

ブログを書かせて頂きますおねがい













〜光の栞と誇りの中で〜






30歳の頃

とある少年と出会いました


友人が働いていた地域プラザで出会い


その少年は親からの虐待を受け

保護されていた子でした










その日、地域プラザでは、


車椅子で移動するご老人

児童施設で預かられている子供などが集まり


小さなイベントがやっていました






その日はパラパラを

みんなで踊りたいという事で


先生として伺いました


子供から老人の方まで垣根なく

みんなで踊り


笑顔溢れる一日として記憶してます。











やがて…おやつの時間になり

小さめなケーキが出てきて


その少年は食べずに周りに配りながらも

見守っていました。














「僕はいいからみんな食べて。」

他に傷ついた子達を気遣いながら。










   


その光景を目の当たりにして


不思議に思いました。


「何故、こんなに気遣うのだろう

他は気にせず自分も食べれば良いのに。」

って


















その後


一人のおばあさんが


「誇りだね。あの子の誇りなんだよ


って言っていて


その時は理解が出来ませんでした。













その少年は


生まれてすぐに祝福されず

両親から虐待をされて育ち

年齢的にも気遣う余裕なんてないはず


不自然な様子に

彼から目を離せない私でしたが


おばあさんが伝えてくれた

「誇り」の意味


この言葉がどうしても引っかかり

どういう意味なのだろう…

毎日考えながら過ごしていきました。
















時間が経つにつれ

点と点が繋がっていきます


その意味は












"重き傷を抱えながらも


周りに心遣いをする凛々しい姿


それが、彼にとっての誇り"


という事に気付かされたのです。










「虐待」…というのは

弱者が一方的に傷ついてしまい

逃げる事が許されない環境で

とても残酷な世界という

想像が支配するので


殆どの人は乗り越えられないと

感じてしまいます。


大人になっても、傷がしこりとなり

憎みながら、恨みながら

息をするだけで、精一杯かもしれません。












深い傷を背負った

この少年は人を幸せにしていたのです。


いつの時も、いかなる時も

優しくて凛としていました。


「本物の優しさを持ってる人は強い。」

言う事を私の祖母が

伝えていたのを思い出しながら


「この少年の尊き心。

この内側からくる光り輝くものは

一体どこからくるのだろう…」


時が止まっているかのように

考えさせられるばかりでした。












この少年が"誇り"と"プライド"の

本当の意味を

教えているのかもしれません。


英語で"誇り"を訳すと

"PRIDE"と略されますが


日本語の奥ゆかしさや

日本語の美しさというか

違う意味合いがあるのかもしれない。


と考えていく中で、その後

この学びは

尊き精神性だと感じていきます。













例えば、教育者として仕事をしてる

学校の先生で言えば


学校という場で偏差値的なものも

社会に出ると大切な時もありますが

だけど、定年まで変わらない形式的な学びと

生きていく上で必要になってくる

"誇りの大切さ"を知る学びでは

質が変わります。









この少年が伝えた

『誇り』の意味


"どんな環境においても

凛としているものであり

人に希望をもたらすもの"


として答えを導きました。












『プライド』強く見えるけど

実は一人だけを守るもので

脆く壊れやすいものだと思います。










季節が廻り


健やかな時も、倒れそうな時も


胸の中にある


"誇り"を大切に温め


その輝きを栞に


明日へ繋いでいければと思います。


傷ついても

それでも生き抜いた先は

光でしかないということ










本物の先生かな…って思うぐらい
この少年から
大切な事を教えてもらいました。

出会えた事に『誇り』に思います
ありがとうございましたおねがい