前回の記事で
「人間と言う存在は完璧だけど不完全」
と言う言葉で終わりました。
だけれど、矛盾をやっぱり感じてしまう。
「完璧だけど不完全」じゃ意味をなさない
のでは無いかと思います。
でも天は、
「完璧だけど不完全」で良いと言う。
「不完全」と言う
言葉の理解の仕方にあります。
二つ意味があり、
一つは、
「完全でないこと」
もう一つは、
「必要なモノが欠けていて不十分であること。」
自称 宗教家である🅱️さんは、
「完全でないこと」の意味に「不完全」
と言う言葉を使用した。
一方、あなたは、
「必要なモノが欠けていて不十分であること」
の意味で解釈をしている。
この言葉の意味の食い違いが
理解を妨げます。
別に🅱️さんは
「あなたには 何かが欠けている」
と言った覚えはなく、
「あなた本来の完全性を妨げているモノがある」
と言っていて、
図にするとこう言う感じです。
🅰️さんと🅱️さんが同じことを話していた事は
理解出来ているでしょうか。
両者の話を改めて統合し、
一つに文章化してみましょう。
「あなたと言う存在の本質は
完全・完璧なものです。
あなたはあなたのままで良いのです。
ですから他の何者かになろうなんて、
エゴを肥大化させるような
努力は必要ありません。
ありのままの状態〔真我〕を発見しましょう。
あなたがこれまで苦しんできたのは
また、何かしらの不満を抱えていたのは、
人生に何かが欠けていたからではありません。
幻想の自分〔固定化された思考〕
に飲み込まれ本来の完全性を
発揮出来てなかったからなのです。
あなたが幻想の自分から離れ、
ありのままの状態である為に
精神修行が必要となります。
"必要となる"と言っても、
物質を身に付けたり
人に執着したり、
新たな知識を得たりする事ではありません。
完全性を妨げているもの。
それを手放していく事なんです。」
と、まぁ宇宙が伝えたいことは
こんな感じで
簡単に要約すれば、
「存在本来の完全性が存分に発揮出来るよう、
まずは、その完全性を
妨げているモノがあることに気づきましょう。」
と言うのが、
精神世界や宗教で語られている前提なんです。
話を分かりやすく伝える為に
この図を示したが、
実はこの図には明らかな間違い
〔精神世界・宗教の混乱を招く原因の一つ〕
が含まれている。
この図を見てから、
「ありのままの状態〔真我〕を
発見しましょう」とか、
「完全性を妨げるモノ〔自我〕を
手放していくことなんです」
と言う説明を受けると、
どうしても「自我〔エゴ〕
を消す事によって真我が現れる。」
と、考えてしまいがち。
実はこの「真我がある」と言う解釈に、
すでに混乱の原因
〔自我の罠・自我のサバイバル〕がある。
「自我」とは、これまで説明してきた通り
「固定化された思考・思い癖」が
作り上げた偽りの個性。
つまり、自分の意思とは離れ、
無意識のうちに一人で歩き出す
思考パターンのこと。
実際に数分でも思考を止めると言う事に
チャレンジして実験をしてみると良い。
自分の「思考を止めよう」と言う意思に
逆らい、決して止まろうとしない
"思考"がある事に気付けるはず。
それこそが"自分"と言う
仮面をつけて
一人歩きしている自我〔エゴ〕です。
自分の意思を離れ
自動的に繰り返される
この思考パターンのことを"自分"だと
思い込んでしまった。
そして、本来の自分の姿を見失い、
その思考パターンに
人生の主導権を握られている。
もし、あなたに主導権があるのなら
自分の意思において、
思考を止めることが可能なはず。
それが出来ない事こそが、
自分の思考に飲み込まれている証拠。
そして人には感情があり、
その考えや付随する感情は、
本当の自分の考えではなく
自我の考えになります。
結論を先に言うと自分の存在の本質は
何者でもない。
特別さなど、どこにもない。
それが真実で、
必死に何者かになろうとその方法を模索し、
「存在全体からの分離」
を望むのが自我の最大特性。
しかし元々が「何者でもない存在」
なんだから、どうあがいても
「何者か」になる事は出来ず、
この不可能な事にチャレンジし続ける
「空回り」こそが、
釈迦が説く「ドゥッカ〔苦〕」や
イエス様が説く「原罪〔的外れ〕」
何者かになろうと頑張れば頑張るほど
自我が拡大し、
自らを、また、周囲を苦しめる結果となる。
part2 は、ここまでです。
続きは次回に書きます。


