本能寺の変が起きてから約70kmを2日間という驚異的なスピードで山崎の地まで戻ってきた秀吉は明智光秀を破り天下統一に大きく近づいたのですが、この驚異的なスピードは早すぎる。ということで本能寺の変は秀吉の陰謀だといわれているのですが確か最終的に秀吉は事前に本能寺の変を知っていたとしか思えない点が多々あります。


朝廷陰謀説でいうと明智光秀が近衛前久と懇意だったように秀吉は大納言・勧修寺晴豊と懇意だったから、その周辺から情報が入る。

長曾我部黒幕説でいうと斉藤利三の妻が長曾我部元親の娘だったように秀吉の甥の秀次が阿波・三好康長の養子だったので秀吉の耳には四国の動きが常に入っていたと考えられます。