【解約】の中に書いていた、個人情報ダダ漏れのお話。


やっぱりね。って感じです。


18日に母から電話があったわけですが、その時にわかったことです。


私は母に、新聞をやめたことは一言も話していません。

それなのに母は知っていました。

母と我が家の住まいは、地区どころか圏も違うのに。

これが、創価学会の個人情報の取り扱いです。


あの宗教では当たり前のことなのかもしれないけど、新聞を辞めたことまで一々漏らして共有し合う神経が今の私にはわからない。

組織活動をしていく上で、報連相が大事なのは分かります。

でも、こんな事を地区外に漏らし、県幹部達や、心配をかけたくないからこそ、自分でタイミングを見計らって話したかった親にまで勝手に伝えるだなんて。そんなことをして何の意味があるというの?



ずっと、ずーっと昔からこうでした。そのせいで、どれだけ嫌な思いをしてきたか。



名簿の管理も今のままではいけないと思う。電話番号や住所も地区で勝手に教えるから、知らないはずの婦人部が突然訪問してきたり、携帯に電話がきたり。


マジでつける薬がありません。


私はこう思います。

どんなに素晴らしい宗教だとしても、結局は現場の「人」で決まる。

そこにいる人達がどうしようもなければ、学会の評価はうん下がるということだ。


これからの時代、この宗教から人が離れる離れないは、信心云々・叶う叶わないより

・現場の人達の人間性

・相手の意思や状況を尊重する姿勢

・適正な距離感を持った人間関係

・数に追われない宗教らしい常識豊かな活動

そしてなにより

・個人情報を漏らさないという信用問題

この当たり前の事が出来てるかどうかで決まると思います。


そう考えると私の地区って、沢山いた若い人が次々未活動になりましたから、ある意味洗脳から人々を救い出すための貢献をしてるのかな。


別に信心などしなくても、願いも叶うし困難も乗り越えられることを知ってしまった人にとっては、必要のないコミュニティと活動です。我慢してまでしがみつくようなところではありませんでした。


こんなこと、先生がお亡くなりになった直後に言いたくなかったのですが、この宗教の人たちとは、一生関わりたくないな。そんな思いが益々強くなりました。


世間では、これだけプライバシーの尊重や個人情報の取り扱いが厳しくなっているのですから、創価学会は、こういった基本的なところから何とかするよう末端組織に徹底しないと、先生がいなくなったこれからは、どんどんダメになっていくと思いますよ。