1つの価値観しか知らずに生きてきた約半世紀


外の世界、価値観に触れる機会はこれまでたくさんあったはず…


だけど、人生の選択肢も選択権も

与えて貰えなかった私は

他の価値観に目を向けるなんてことは

した事も、考えた事すらもなかった



歓喜に溢れていると思って生きてきたけど

どこかで苦しいとも感じていた



その苦しいという感覚が本当の私だと気がついた




それは、私の心を覆っていたものが粉々に壊れたから


生まれてはじめて外の世界を覗いてみた

「見るな、読むな」と言われてきたので

恐る恐る…

まるで悪い事でもしているかのように


……………………………


外の世界はとっても明るく広かった


想像していたものとは別世界だった


一般世間の人達はみんな

自分の運命を受け入れ

自分の頭で考えて

一生懸命生きている


強いな。と思った


自分で人生を切り開いているから

堂々としいて、心の余裕も感じた




私の知っている事とは全く逆の

物事の考え方・価値観がある事も知った

目からウロコだった



常に前進し続けること

他に尽くし抜くことこそが

正しい生き方であり

その実践をするからこそ

自身を磨き

勝利の人生を築いていける

そう何度も何度も教わり信じてきた



その考えは、決して悪い事でも間違いでもないと思う


だけど、顔や性格が一人ひとり違うのと同じように

その価値観が合わない人だっているということ

幸せの感じ方も十人十色だということ


その価値観が自分にピッタリの人は

どんどん頑張ればいいと思う




幸せになるためにはこれしなかい!

過去の業を転換するにはこれしかない!

そうやって

常におしりに火をつけられているような状態で活動に繰り出され

周りの人にも推し進めていくことが

自他共の幸福なんだと教わったが

価値観の押しつけは、間違いだと思った



正直

私には合わなかった。

好きじゃなかった。

いや、大嫌いだった。


元々おっとりした性格。体内時計もゆっくり。ボーッとしているのが好きなのに、常に煽られていては疲れるにきまってる。


いつも煽られて焦っているから

色んなことを考える時間さえなかった


でも、コロナ禍で考える時間が出来た

私にとってそれは、不幸中の幸いだったのだろうか


…………………………


今までにないほど考えた続けた


「私には合わない」


心をあの団体に戻す努力もしたけれど、

もう無理だった


「この団体とは距離を置こう」と決めた


怖かったしものすごく勇気が必要だった


組織を放り投げて逃げた

裏切り者・薄情者・無責任な人

と言われるかもしれない

お世話になった人には

迷惑をかけてしまうかもしれない…

色々な思いが渦巻いた


そしてなにより

離れたり、辞めたりしたら

幸せになれないどころか

悪いことが起こる

とも教えられてきたから


だけど先に離れた人達が

何も悪いことなんて起こらないよ

大丈夫

そう言っているのを知って少し安心した


……………………………


距離をとるにあたって、1番ネックになるのは母だった


苦労しながら私たちを愛情いっぱいに育ててくれたから



「子供達が幸せな人生を送る事ができますように」


「どんな困難も悠々と乗り越えて行けますように」


そして、「自分と同じ宿業を子供たちに背負わせたくない…」これが1番強い思いだったのだと思う


宿命転換するには、この信心以外にないと考えている母は、子供たちをそのレールに乗せ、絶対に落ちないように育てた


母の思い通り、子供達はそれぞれ組織につき、第一線で活動するようになっていた


きっと、「これで、子供たちは幸せな人生を送っていける」と安心したに違いない



それから数十年。

子供たちはそれぞれに

苦しんでしまったね…。





母は、「私たちの幸せのため」に

今もその教えを命をかける勢いで信じている。


そんな母が教えてくれた

幸せになる方法を

手放し、離れるということは

子の幸せを願う母の思いを踏みにじり

母の生き方を否定し、

悲しませることになると思うから

表現しようのないほど

悩み苦しんだ…

毎日、毎日、泣いた。



私は、母の喜ぶ姿が嬉しかった

だから、母の理想を生きることが

私にできる親孝行。

そう思っていた。



だけど、ふと考えることがあった

いつか、母がこの世からいなくなった時

私はどうやって物事の決断をしていったらよいのだろう

幸せを強く祈ってくれていた母がいなくなったら同じ事を私はできるのだろうか


もしかして、成長している気になってただけ。見た目が大人になっただけ。

頼りっぱなしで、まるで成長していないんじゃない?


不安だ…心配だ…どうしよう…


……………………………


その日は母が元気なうちに訪れた



目がさめたと同時に

アイデンティティがない事に愕然とした


思春期や青春時代に通るべき

自分と向き合って悩み

自分の頭でしっかりと考え

自分で選択した道を進む

そうやって、自分自身を作り上げていくという事をしてこれなかったが故に

こんなおばさんになってから悩むなんて…


自分の好きな物がわからない

自分の好きな事がない

自分で下した判断は

全て間違えている気がする

活動を一生懸命しすぎた為に

お友達も皆いなくなっちゃった


母や大人達が示してくれた

幸せになるための方法は

本当の自身の成長も

根本的な悩みの解決も

全くできていなかった

私にとってそれは

現実逃避をする方法でしかなかった


私、なんという生き方をしてきてしまったの…ものすごく悲しくなって、気持ちがどん底まで沈んで行った…


………………………


誰にも話せない苦しみ

1人悶々と悩み続けるしかなかったが

辛すぎて、このままだと

壊れると思った


思い切って旦那さんに

胸の内を話してみることにした


今までと真逆の事を言う私を

旦那はどう思うだろう。

「それ見たことか」と言われるかな

ドキドキした。


旦那さんは私に、こう言ってくれた


「今気がつけて良かったんじゃない?人生まだ半分あるんだし、中身がないなら、これから作っていけばいい。

楽しみだって見つけていけばいい。

あんたには、それだけのびしろがあるってこと」


今まで我慢に我慢を重ねて塞いできた心の中の苦しみが解放されたように

涙がいっぱい溢れ出して止まらなかった


旦那さんは「俺が泣かせたみたいだ」と困っていたけど

お陰で気持ちがとても軽くなった

本当にありがとう。

私の人生をすくい上げてくれた

旦那さんに心から感謝している



残りの人生は自分の頭で考えて

自分の直感を信じて

少しでもワクワクする選択をしようと思った

そして、自分の心を蔑ろにして生きてきた分、今度は自分の心を大事にしてあげようと思った



わたしの人生の主人公はわたし

わたしの人生を生きれるのは

わたしだけ

わたしの人生はわたしのもの

母のものでも

何かの組織のものでもない

わたしの人生を築いていくのはわたし

どう生きていくかを

選択できるはわたし

時に間違えとしても

気がついたなら軌道修正すればいい

自分で選んだ道だから

人のせいにはできないな

自分の生き方に責任を持つということは当たり前の事だけど

すごく難しく勇気のいる事だと思った



なんだか少し強くなれそうな気がする

なんだか中身が大人になれる気がする


………………………


「幸せになるため」「あなたたちのため」といって、私達に信仰を強制し、家庭を蔑ろにしてきた母を恨む気持ちがないのか?と言えば嘘になる


私の人生が母に食べられてしまう

そんな感情も沸いた。


だけど母も犠牲者だから


『優しくて愛情いっぱいの母』

と自他に言い聞かせてきた

その言葉と気持ちは

できることなら本物だと信じていたい


母が教えてくれた

『幸せになる方法』は

もう使わないけど

私なりに考えた形で

親孝行をしようと思っているし

幸せになるとも決めた


かなり遅いけど、

親離れ、子離れの時がきたのかもね

そう思った