スピリチュアルの世界にであい、色々な探求をするようになってから、
私は今までずっと
私もいつか
きっと悟りを開きたい
と思って生きてきました。
そして、人が悟るには
日常生活を送りながらではきっと無理
日常から離れ、お寺などにこもり
修行をしない限り悟りは実現しない
若いうちには悟れない
悟りというのはとても特別なことで、特定の人にしか起こり得ない
と信じていました。
そして、
まだ小さい子供が3人いる私には絶対に悟りなど無理
悟れるのはまだとうぶん先の話
と考えていました
去年の夏、ノンデュアリティ(非二元)の概念にであい、
悟りとはどこか遠い手の届かないところにあるものではなく、常に「ここにある」ということを知りました。
静寂の中で自分を観察してみた時に、「わたし」がしていることは何もなく、全てのことがただ自然と起きていました。
良い、悪い
という概念を通り越して
全てがただ、起きていました。
そして、そもそも「私」という存在自体実在しないという究極にたどり着きました。
私がいま考える悟りととは、「悟り」とは何か特別なものではなく、
ただ、「いま」ここに在ること
抽象的ではありますが、言葉で表現しよとした時にこれ以外の言葉が思い浮かびませんでした。
さまざまなノンデュアリティのスピーカーさんたちが言われているように、
悟る「自分」というものも、「悟り」というものも本来はありません。
全てのものが形を、姿を変えてただ
「いま、ここ」に存在しているだけです。
このことを感じた時、
満たされた気分も嫌な気持ちも、
すてきな経験もできれば避けて通りたい体験も、
全てがただ起きているだけのこと。
今わたしがドイツに住んでいることも
次女の小学校入学手続きを
今週中にしなければならないことも
小児科に問い合わせの電話をすることも
ちょっと運動したいなと思う気持ちも
いま無性に辛ラーメンが食べたいことも
(笑)
全て、ただ自然と起きていること。
私はそれらに対して何かをしようとせず、
ただそれらをありのままに受け止めればいいんだ。
というところへたどり着きました。
そして今、これまで感じていた力(りき)みや肩の荷が全ておりて、とても身軽に「わたし」を生きています。
先日偶然聞いたこちらのじゅんころさんという方のお話がとてもよかったので、シェアさせていただきます
(動画を見なくても、音声だけで楽しめます)
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
すてきな一日をお過ごしください
ドイツより、愛を込めて