今朝はなんだか起きた時から体が重い。
家族のお弁当の準備をして、子どもたちを起こして、学校と幼稚園に送り出す用意をしていると、体だけではなくなんだか心もどよんとしてきました。
「大好きなハナキンなのになんでだろう」
という思考が一瞬湧いてきたのですが、
その時に
あ、この体のだるさも心のどよーんも、
この
「大好きなハナキンなのになんでだろう」
という思考も、ただ起こったんだ。
と
ノンデュアリティ(非二元)の概念に出会う前の私だったら今朝のような時、
「夜中に、6歳の次女がトイレに行くと言って私を起こしにきたから寝不足なんだろうな…」
とか、
「ハナキンなのになんだこのメンタル…
さあ、テンション上げて行こう!」
と、起きていること、起きたことに対して
原因を探し、
なんとかその現実を自分の望むものに変える
ために努力していました。
最近は日常の中で、少しずつではありますが「自分」を俯瞰(ふかん)してみれることが多くなってきました。
そして、「私」「自分」という区切りがあまりなく、
自分の視界に入ってくる家の中の家具や家の外の木々、歩いている人たちを見ると、
ただ、エネルギーが
いろいろな形で現れているんだな
そう考えるようになりました。
普通に生活をしていると、私たちは全てのことがつながっているように感じます。
起きたこと、わいてくる思考に対して原因と結果を探り、ストーリーを作ろうとする傾向にあるのが私たち人間です。
でも実は、一瞬一瞬すべてのことが新しく生まれては消えていきます。
最初、私にはこの感覚がわかりませんでした。
今のこの寒さは次の瞬間にはなくならないし、
お姉ちゃんとけんかして号泣している
長男が次の瞬間に泣き止むことはない。
私のおなかのお肉は一瞬にしてなくならない…
(なんて屁理屈な考え方でしょう)
一瞬一瞬すべてのことが
新しく生まれては消えていっている
とはどういうことなんだろうかとずっと考えてきました。
でも、静寂の中で目の前に起きていることや頭の中の思考、自分がしていることを観察してみた時、
全てのことが続いていてつながっていると信じていていたのは、
ただの私の思考だった
ことに気づいたのです。
目の前で起こること、わいてくる思考を私たちはコントロールすることはできません。
全てが私たちの範疇外で勝手に起きています。
これを聞いて、悲しくなったり、受け入れられない人もいるかもしれませんが、これは紛れもない事実です。
それだったら、全ての出来事を一度そのままにしてみてはどうでしょうか。
起きたこと、思考に対してあーだこーだ考えて深掘りして考えるという作業を止め、
全てをそのままで受け止め、
ただ、ある。
そうした先に、今までずっと探し求めてきた心の平安と自由が見つかるかもしれません。
今までよりずっと気楽に、この世界を生きることができるかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました
暖かくしてお過ごしください。
そして、すてきな週末をお過ごしください。
ドイツより愛を込めて