私はできるだけ毎日朝起きてすぐと、寝る前に15分ずつ瞑想をするようにしています。
朝の瞑想はソファーでするときもあるし、起きてすぐにベッドの上で横になったままするときもあります。
夜の瞑想は基本的にソファーで座った状態でしますが、横になってしたいときはベッドの上でするときもあるし、子供を寝かしつけながらするときもあります。
夜の瞑想は自分がしたいと思った時にしたい場所でします。
家の中ではなかなか無音の状態が作れないので(冷蔵庫の音や外の音などがどうしても多少はある)、イヤホンで瞑想音楽を聞きながら瞑想をすることが多いです。
これもそのときの気分に応じて、誘導瞑想の音源を聴いてすることもあるし、音だけの瞑想音源を聴いてするときもあります。
瞑想をするときの姿勢はすでに前記しましたが、ソファーに座ってしたりベッドの上に横になってしたりします。
姿勢を正すことにはこだわらず、できるだけ体の力を抜いてラックスしてできる姿勢をそのときその時の自分のコンディションに合わせて模索してします。
前置きが長くなりましたが、今日のタイトルにもある私が瞑想がすごいと思う理由について話をします。
私は普段の瞑想の時に深く自分のハイヤーセルフにつながれることもあるし、15分間ずっと雑念で脳内が騒がしいときもあります。
雑念が多いときはその雑念をどうにかしようとせずに、呼吸に集中して湧いてきた雑念を手放すようにしています。
どうにか雑念を払おうとは努めず、雑念が湧いてくるたびに呼吸に意識を戻すことを繰り返し行います。
瞑想を始めて最初の頃は、雑念が多いと深く自分とつながれないので瞑想しても意味がないんじゃないかと思っていました。
でも、本格的に日常的に瞑想をするようになって約一年が経った今、たとえ瞑想中に雑念が多くても、瞑想すること自体に大きな意味があることを実感しています。
確かに、瞑想を始めてすぐに深く自分のハイヤーセレフにつながることができる時は、ハイヤーセレフに触れる嬉しさや安心感で自然と涙が出てくることもあるし、異次元の世界に行ってきたような感覚になることがあり、瞑想の効果を深く感じることができます。
でも、例え雑念がひどいなか瞑想をした後でも、瞑想したあとは自分の気分がする前よりもはるかに安定していることに気づきます。
瞑想がすごいところは、例え雑念が多く深い瞑想状態に入れなくても瞑想の効果はあるということです。
雑念でなかなか瞑想に集中できないと思っている方もたくさんいらっしゃると思いますが、自分のために自分の貴重な時間を投資する瞑想の時間は決して無駄なものではないと思います。
たとえ瞑想に集中できなくても、自分自身と一対一で向き合う瞑想の時間はとても貴重なもので、必ず自分自身のメンタルを豊かにしてくれるものだと私は信じています。
昨日は夜の瞑想中に6歳の長女に手紙を書きたいなというインスピレーションが降りてきたので、瞑想の後に長女に手紙を書きました。
毎日瞑想をしていて私が体験していることは、瞑想中や瞑想後、必ず何かしらの素晴らしいインスピレーションが降りてくるということです。
これらのインスピレーションは自分が何か一生懸命に考えて出したアイディアではなく、自然と自分の内側から出てくるものなので、とても自然な形で受け入れることができるし、行動に移す際もあまり努力が入りません。
むしろ行動している時はほぼ無意識でボルテックスに入っている状態で行っているので、力む必要がありません。
心地が良いです。
昨日、長女に手紙を書いている時がまさにそうでした。
瞑想と聞くと、なんだかちょっと難しそうだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、
リラックスした姿勢で呼吸に意識を置く
というシンプルなやり方で一度試してみてはいかがでしょうか。
瞑想を生活の中に取り入れることで、私は自分の考え方や生き方がだいぶ良い方に変わったので、ぜひオススメしたいです
それでは本日もドイツより愛を込めて
Tschüss