実家では、ごく小さな集まりに
ひとつの部屋を提供することがある。
そこに集まる様子を見ていると
個人の家でも、何人かで訪問すると
なにかの箍(たが)がはずれてしまうものらしい。
一部屋以外はまったくプライベートな空間なのだが
それを忘れられてしまう。
ひとりのときには誰でも気を遣ってくれる、大人なのに
何が麻痺させてしまうのだろうか。
夜、大声で盛り上がってしまったり。
食事をしているところに
ドアを開けて入ってこられてしまったり。
浴室の前ですぽんと服を脱いだところに
ドアをがばっと開けられてしまったり。
(参った・・・)
廊下でなにか話し声がすると思ったら
見知らぬ人が携帯電話で話していたり。
まだ若いころはこんな環境がとてもいやだったが
だいぶ慣れてしまった。
自分の家ではなくて親の家だから
不満を言うなら自分が出るべきだ、とも思うようになった。
でも、いまだぐずぐずこんなことを書いているのは
100%の広い気持ちになりきれていないからだろう。
人にひと部屋を使ってもらう、というのは
ほんとうにひと部屋だけでは済まなくて
相当、寛容にならなくてはできない。
両親の、それができてしまうところはすごいな、と思う。
思いが正しいかどうかはわからないけれども
中途半端な気持ちではないのだろう。
昔の人もすごいな、と思う。
こんなせせこましいことを考えたりしない、
開放的な時代もあったんだな。
反動なのか、もともとなのか、なんにせよ、今ここには
人の存在に落ち着けない、偏狭な性格の私がいる。
閉ざされた薄暗がりが大好きだ。