昨日、今日で、色々と考えさせる事が沢山ありました。
まず、一つ。
ナオリュウさんにインタビューさせて頂き、それを英訳した事。
ナオリュウさんの思う事、共感できる部分があったり、また、新しい事もあったり、面白かったのですが、日本と日本の音楽が今後どうなっていくのか、音楽に携わる者として改めて考える機会にもなりました。
私の考えは、たびたびこのブログでは書いているので、今日はそれについてはあまり長々と書かない事にします。
そして、福井で何故「沖縄のエイサー」(創作エイサーではなく)にこだわってやっているのかも、以前書かせて頂きました。
(良かったら読んでね)
この地でエイサーをする意味
私にとって、沖縄の文化は、私の肉体や心を作るものです。
そういう自分の気持ちがあるからこそ、多文化を学ぶ時には、現地の人達の心について、考える様にしています。
相手に失礼にならない様にしたい。
ナオリュウさんはまるでスナフキンの様に流れ、土地にこだわりません。
自分の生まれ故郷の「沖縄」と、「福井でエイサーをする事」にこだわっている私とは、正反対とも言えます。
だけども、願いは、同じなのだな、と思いました。
私は、この美しい国を、守りたいと思っています。
守りたいからこそ、故郷沖縄を大切にしたい、という気持ちもあります。
人はそれぞれ役割があって、それぞれ違う考えがあり、違うアプローチで想いを達成していくのだなぁと・・・と、しみじみ思いました。
そして、ふたつ目が、友人の「田田田もひちず」ちゃんの、「RWANDAもひ地図展」に行き、20年前に起こったルワンダの大虐殺について、本を読んだ事。
展示自体は、とっても平和でハッピーで、ルワンダのエネルギーの伝わるような、素敵なもの。
でも、何気なくふと手にとって読み出した本が、大虐殺のものでした。
虐殺が起こった事は知っていたけれど、どんな風な状況で起こったのか、どんな風に殺されたのか、今まで知らずにいました。また、その時に起こったレイプについて、レイプで妊娠し子どもを産んだ人達の葛藤、そういうのは、全く知らなかったのです。
読めば読む程に苦しくなり、読みながら泣きそうになりました。
が、目を背けてはいけない事実が、そこにはありました。
私と親しい人はだいたい皆知っているかと思いますが、私は、沖縄を愛し、日本を愛し、文化や言語を守る事を大切にしており、また、世界平和を強く願っています。
日本という国を愛してはいるけれど、私は自分を「日本人」であるというよりも「うちなーんちゅ」であると思っています。
そんな私だからこそ、色々と思う事がありました。
言葉に出来ない想いが沢山あるので、ここで深くは語りませんが、できれば、皆さんに、一度、ご自身で、ルワンダで起こった大虐殺について学び、そして、考えてもらえればいいな・・・と思います。
ルワンダにいるそれぞれの民族が、自分達の民族を愛し、ルワンダという国を愛し、平和に暮らしていける事を、心から願っています。
最後は、尊敬するダンスの先生とお話した事。
これも、内容をここに書けないので、多くは書かないでおきますが・・・今後の自分のダンスとの関わり方について、再度考える機会となりました。
私は、ダンスを再開する時、エイサーの練習や出演、英会話含む英語のお仕事には、決して穴を空けない、必ず両立させる、という約束と決意の元、ダンスを再開しました。
だから、ワークショップなど、エイサーの練習日である日曜日には、受けに行っていないし、イベントも、全てエイサー優先です。
これは今でも守っていますが、先生方が私のこの方針を理解してくれて、それでも私のダンスが好きだという気持ちを理解し応援してくれることに、感謝しなければいけないな・・・と思いました。
我思う、ゆえに我あり。
こうやって、「思う」事が、私が「MIRIKA」である意味なんだろうな、と、ふと思った、日曜日の夜。