I have a thing about ・・・・ -87ページ目

ベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター/バーデン・パウエル 6. Samba En Preludia

バーデン・パウエル
バーデン・パウエル (Roberto Baden Powell de Aquino, 1937年8月6日 - 2000年9月26日)は、ブラジルの音楽家、またブラジル音楽のギター奏者、作曲家。リオデジャネイロ州のバ-レ・エ・サイで生まれる。名前は、ボーイスカウトの創始者、ロバート・ベーデン=パウエル卿からとられた。彼はピアニストであるフィリップ・バーデン・パウエル・ヂ・アキーノと、ギタリストのルイス・マーセル・パウエル・ヂ・アキーノの父である。
非常に技巧的なギター演奏をするギターの巨匠として知られており、特に、ヴィニシウス・ヂ・モライスとの共作であるアルバムアフロ・サンバなどの作品で知られる。


6. Samba En Preludia

吉田茂=マッカーサー往復書簡集、F機関、自由論、デスクファン

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 2冊は手に入れ損なっていたもの。

 自由論は謎。

 だって、山岡訳がつい先だって出たところなのに、また訳者を変えての配本だからね。何か大人の事情があったのでしょう。
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自由論 (光文社古典新訳文庫)/ジョン・スチュアート ミル

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自由論 (光文社古典新訳文庫)/ミル

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自由論 (日経BPクラシックス)/ジョン・スチュアート・ミル

¥1,680
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 逐一つきあわせていないけれど、まぁ、どちらでも良いのではないだろうか。読みやすいと思う。

斉藤訳
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山岡訳
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 気になる人のために原文のありかを加えておきましょう。

ON LIBERTY by John Stuart Mill (1859)

CHAPTER I

INTRODUCTORY

THE subject of this Essay is not the so-called Liberty of the Will, so unfortunately opposed to the misnamed doctrine of Philosophical Necessity; but Civil, or Social Liberty: the nature and limits of the power which can be legitimately exercised by society over the individual. A question seldom stated, and hardly ever discussed, in general terms, but which profoundly influences the practical controversies of the age by its latent presence, and is likely soon to make itself recognized as the vital question of the future. It is so far from being new, that, in a certain sense, it has divided mankind, almost from the remotest ages, but in the stage of progress into which the more civilized portions of the species have now entered, it presents itself under new conditions, and requires a different and more fundamental treatment. The struggle between Liberty and Authority is the most conspicuous feature in the portions of history with which we are earliest familiar, particularly in that of Greece, Rome, and England. But in old times this contest was between subjects, or some classes of subjects, and the government. By liberty, was meant protection against the tyranny of the political rulers. The rulers were conceived (except in some of the popular governments of Greece) as in a necessarily antagonistic position to the people whom they ruled. They consisted of a governing One, or a governing tribe or caste, who derived their authority from inheritance or conquest; who, at all events, did not hold it at the pleasure of the governed, and whose supremacy men did not venture, perhaps did not desire, to contest, whatever precautions might be taken against its oppressive exercise. Their power was regarded as necessary, but also as highly dangerous; as a weapon which they would attempt to use against their subjects, no less than against external enemies. To prevent the weaker members of the community from being preyed upon by innumerable vultures, it was needful that there should be an animal of prey stronger than the rest, commissioned to keep them down. But as the king of the vultures would be no less bent upon preying upon the flock than any of the minor harpies, it was indispensable to be in a perpetual attitude of defence against his beak and claws. The aim, therefore, of patriots, was to set limits to the power which the ruler should be suffered to exercise over the community; and this limitation was what they meant by liberty. It was attempted in two ways. First, by obtaining a recognition of certain immunities, called political liberties or rights, which it was to be regarded as a breach of duty in the ruler to infringe, and which, if he did infringe, specific resistance, or general rebellion, was held to be justifiable. A second, and generally a later expedient, was the establishment of constitutional checks; by which the consent of the community, or of a body of some sort supposed to represent its interests, was made a necessary condition to some of the more important acts of the governing power. To the first of these modes of limitation, the ruling power, in most European countries, was compelled, more or less, to submit. It was not so with the second; and to attain this, or when already in some degree possessed, to attain it more completely, became everywhere the principal object of the lovers of liberty. And so long as mankind were content to combat one enemy by another, and to be ruled by a master, on condition of being guaranteed more or less efficaciously against his tyranny, they did not carry their aspirations beyond this point.


 個人的には、法学部、経済学部の学生は、スミスも、ルソーも、カントも、ヘーゲルも、マルクスも、ニーチェ・ウェーバーも、ケインズも翻訳原典に当たる必要はないと思うけれど、ミルだけは読んで貰いたいと思う。

 ぼくが学生の頃に読んだものは今でも現役のようだけど、もはや、使命は終えている本だと思う。超読みにくかった印象しか残ってない。

自由論 (岩波文庫)/J.S. ミル

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 迂闊にもこの本の所在は学生当時は知らなかったし、知って悔しい思いをしたままもう忘れていた。

F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐/バジリコ

¥2,310
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 これは高すぎて手を出しかねていたものだ。ぼくは、袖井林二郎、竹前栄治氏ら戦後史研究会のフォローから現代史の勉強を始めた。ぼくにとっては恩師のひとりだ。

吉田茂=マッカーサー往復書簡集―1945‐1951/袖井林二郎編

¥9,975
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 今のところぼくの昼間いる部屋では、普通の扇風機とこいつでまだしばらく何とかなりそうです。少々汗はかくけれどね。・・・ウソ。かなりかく。

山善(YAMAZEN) デスクファン ホワイトブルー YDS-J142(WA)/山善

¥2000くらい
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【関電】準備してれば足りていた。わざと停電を長引かせることも!?


rving Miller さんが 2012/05/17 に公開
2012.5/17
■電気使うほどお得です 関西電力
http://www.hapiepoint.com/point/denki.html
■今夏の電力需給が全国で最も逼迫する関西電力が、調理や給湯などをすべて電気でまかなうオール電化住宅の販売促進を続けていることが分かった。
http://mainichi.jp/select/news/20120505k0000e020162000c.html
■関電は電気が足らない状況をわざとつくっている
http://youtu.be/YzT5UYOFElA
■電気が足りないから再稼働するのではない。関電が明言
http://www.youtube.com/watch?v=mXoeCl5zW9c
■「偽装停電の夏」をくいとめよう
http://tanakayu.blogspot.jp/2012/05/blog-post_2393.html

どうしても原発を動かしたい関西電力の裏事情



LunaticEclipseNuke20 さんが 2012/05/04 に公開
関西電力が電力不足を補う企業努力をすれば
今夏の電力は足りる可能性は高い。
しかし関電にとって、原発なしで電力が足りてしまうと、
原発なしだと資産が半減し、
総括原価方式により、利益も半減してしまう。
今後数年で債務超過となり、経営破綻してしまう。
そんなことは何が何でも避けなければならない。
だから、"敢て"電力不足を補う企業努力を殆どせず、
電力不足による原発再稼働に持ち込もうとしている。
関電自身が、『需給の問題とは切り離して考えております。
夏場の需要とは関係を考えておりません』と述べているように、
http://www.youtube.com/watch?v=eLaI8nn4EOo&t=0m13s
電力不足だから原発を再稼働するのではなく、
関電の経営破綻を避けるために原発を再稼働したいのだ。
つまり、経営努力して原発なしで今夏を乗り切ってしまうと、
自分で自分の首を絞めることになってしまう。
だから、あたかも電力不足だから原発の再稼働が必要だとの
フィクションを描いているのだ。

原発再稼働問題
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2012/03/post-43be.html

関電もやっぱり隠蔽体質・・・? 古賀茂明 2012.05.14


CS6hoshii さんが 2012/05/14 に公開
関電もやっぱり隠蔽体質・・・? 古賀茂明
山井和則 下地幹朗 福岡政行 
大竹まこと 三橋貴明

稼働させると危険な原発 ワースト... たくさん


Irving Miller さんが 2012/06/14 に公開
2012.6/14

【参考】
■大飯原発のある若狭湾は多数の断層があり大津波も来る
http://iohome.web.fc2.com/osenmap/#4
■地震と津波に弱い原発の9割が日本にある
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/03/post_744.html
■地震と原発の世界地図
http://maptd.com/map/earthquake_activity_vs_nuclear_power_plants/

「厳重注意」を受けるべきは誰か〜NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」 脱原発の日のブログ

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「厳重注意」を受けるべきは誰か

~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~

戸崎 賢二(放送を語る会会員)

 大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
 ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。



 ぼくも良い番組だと思いました。よく判らない処分ですね。

今年のお中元は、京都 舞扇堂の扇子にしました。

 いよいよ祇園祭も本番と言うことになり、京都は夏本番に突入します。

 ということで、今年は、ボケナス関電のおかげでなおさら暑くなりそうなので、

今年の夏のお中元は、少しでも涼をと言うことで京都伏見の舞扇堂さんの扇子にしました。

 送り先の名入れもしてもらいました。

 差し上げると、存外に好評なので、みなさんも扇子のお中元など如何でしょうか?

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 祇園祭においでのかたは、四条花見小路西南にお店があります。Web では 少量からのオリジナルも受け付けてくれるようです。


大津市・いじめ自殺について

滋賀・いじめ自殺 澤村教育長、警察の強制捜査に現場で抗議
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www.fnn-news.com


滋賀・いじめ自殺 市教委、「警察との連携が不十分」と報告$I have a thing about ・・・・
www.fnn-news.com

大津市教育委員会の澤村憲次教育長は「市内中学生の転落死亡事故にかかります報道等で、委員長をはじめ、委員の皆様には大変ご心配をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません」と述べた。

 前後の脈略がわからないので判然としないが、前後がないのならこの人はダメだ。教育長をしてはならない人だ。報道の仕方に対する疑念もつきまとう世の中だからほんと世も末だという感をぬぐえない。

 このブログを読んでくださってる人は、ぼくが、お上、お侍さん、お役人たちを全然信用していないのはご承知だと思うけど、委員会やガッコのセンセに対して幻想を持ちすぎだというのが正直な印象だ。彼らも所詮その一員に過ぎないんだ。警官も大学病院のセンセも自衛官もみんな・・・ぜーんぶそうなんだ。

 ぼくは、学生の頃から近隣の教育大学や教育学部の実態を直接見聞きしいろんな議論を重ねた。身内にも教育大学の大学院卒がいる。彼の成長の過程も、教育現場にいるその実態も聞いている。だからそんな夢など全然持っていない。あの機関ではぼく達が期待するような教員を育成することは出来ない。通り一遍の形式しか教えていないという感じだ。教育こそが国家百年の大計とはいわれる。でも、言うだけだ。吾国の歴史はその証明であるにもかかわらずだ。特に感じたことは、教育の目的・意義に関しての徹底的な教育が成されていないのが致命的だった。ハッキリ言ってこりゃ無理だということだ。

 ・・・まぁ、法学部も一緒だったけどね。リーガルマインドと言うことについて、徹底的に掘り下げた授業というのはぼくの学校にはなかった。法哲学はあったけど、ちょっと違った。これがわからないと法の執行に携わってはならないんだけどね。近代法は、社会慣習制度との闘いであり、またキリスト教理念の実現であり、かつ、それとの闘いの歴史なんだ。ぼくらの国は、それにぼく達独自の理念を織り込まなければならないのだけどそんな議論はない。テクニカルな話題ばかりだった。これだけじゃ全くダメ。人の役に立てない。

 話がそれた。戻す。

 学校の携わる人たち、行政機関のひとつとして彼らの成すべきことは法律に書いてある。

教育基本法   昭和22・3・31・法律 25号

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。


教育基本法 (平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)

 教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

目次省略

(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 旧法から新法への改訂のいきさつについては知らない。まぁ、知りたくもない。

 でも、素直に、正しく、美しい法だとは思う。

 本来であれば、斯様な但し書きは不必要であるべきではある。GHQが云々という言う話しも法施行後であれば何ら意味はない。その後の顛末も同じだ。ただ、書いた本人たちもこれらの実現に本気だったとはとても思えない。

 ただ、我が国は希に見る無宗教国家なので、半ば強制的な倫理規範と言うものが存在しないが故に、法を持って規定せざるを得ないという情けない状態であるわけだ。

 であるにしてもだ。基本法として制定・施行した以上は、この目的を持って本旨とすべきだが、現場はそれとは無関係に動いているそういうのが実態だった。

 この教育の目的が、どれだけ具現化されているのかというと誠に心許ない。というよりは、全く顧みられていないのではないかという惨状だった。

 普通の市役所のお役人と何ら変わらない人たちに、このような崇高な目的目標を持たしたところで、彼ら自身どうしようもないというのが本音のところなんだろうと思う。

 このことはあまり知られていないのだけれど、ぼくの所属する創価学会という組織は本来教育者の学会を起源に持つ。創價敎育學會がそれだ。だから学会を名乗っている。創価大学という組織もある実態はよく知らないが、それなりの教育を施しているはずだ。
 だから、ぼくの支援政党にも、大きな組織ではないのでたいそうなマニフェストは不必要。我々組織の本旨である教育に専念すべしと訴え続けてきた。まぁ、その声は、全然、届いていない。誠に残念至極!
 ぼく自身は、以前の学会の日蓮原理主義的な活動にはちょっと違和感があって馴染めないところがあったのはあったけど、その組織の中で寝食を忘れて活動し鍛えられ、人の幸せとは何かと言うこと、因果の連鎖を断ち切るために一人立てと言うことを徹底して教えてもらった。それがぼくの生き方の全てだと言っても良い。

 ぼく自身は、教育者という資格はないけれど、本当は、ガッコのセンセになりたいと思っていた。でも今は、経営者も教育者だと思っている。
 ぼくは、企業経営に携わっているけれど、個人として金を儲けるつもりなどはさらさらない。だから、いつまで経っても、会社もこれで安心というところまでいけない。こればかりはぼくの力の及ばぬことで、力を貸してくれている人たちには大変申し訳ないと思う。心からそう思う。
 でも、ぼくが、事業を継いだのは、親父の学会の理想を基にした「少しでも多くの人たちの生活の役に立とう」と言う目的に共感したから同じ目的を受け継いだ、唯それだけのことだ。これは金銭的なことだけじゃなく、幸せに生きる方法をみんなで見つけようと言うことでもある。
 だから、みんなと考えながら、方法を模索しながら、叱咤激励しながら、喜びながら、そしてあるときは泣いている。まぁ、学会員でなくても当たり前と言えばそれまでのことだけれどね。
 自力でおなじようにこんなことをしているガッコのセンセはそれこそ沢山いるだろう。そんなセンセたちの力を本来の教育の目的に向けさせるだけで、一挙に学校の改革は出来るはずだ。絶対出来る。
 ただ、今も、経営と組合の問題すら解決できない人たちにはそんなこと求めても無理だ。外野が何を騒いだところで、アクターは、双方、同じ穴の狢に過ぎない。そんなところに改革の芽はない。そんなのは、現場にゴロゴロ転がっているはずだ。経営者の目が節穴なだけだ。そんなことがわからない人は組織経営や教育に携わってはいけないという単純な話しだ。

 本来、難しい話は何も必要ない。

 「みんなで力を合わせて、みんなが幸せになろうよ」ってことが実現できれば良い。

 それをみんなが共通の目標として力を合わせるだけで良い。

 それだけのために、宗教があり、規範があり、思想、哲学がある。
 
 なかなか説得力のある説明が出来ないので話しが難しくなりがちなだけだ。

 理想にもかかわらず、そこに別な利害を持ち込むから対立する、それだけの話しだ。

 惜しむらくは、日本は共産圏以上の骨抜きの無宗教国家に成り下がっているので、その議論すら長続きしないし、行われることすらない。これもお侍文化の負の遺産だ。その負の遺産は、日本人には染み込んでいるので(まぁ他国でも同様だけどね。)、組織が大きくなれば、官民問わず、どこにでも発生してくる。これらは、最近は下火だけれど、社会科学という今や死語になった分野では、ウェーバー以降ズーッと官僚制の善し悪しの問題として議論が重ねられている。まぁ、それは置いておこう。

 長く議論をする必要ない単純な話しで、同じことの繰り返しになるのでこの辺で切り上げる。

 まず、たった一人でも自分が立ち上がると言うことが大事だ。

 先日引いた本村洋氏は、その見事なお手本だ。

 亡くなった少年、そのご家族の悔しさを考えると、涙の乾く暇がない。

 少年のお父様は、礼儀正しく声の小さな人のようだけど、彼の無念を晴らすのは、あなたしかいないと申し上げたい。あなたは、立ち上がって解決しなければならない宿命を負いました。ぼくも、側面からではありますが、今回の件に関しては協力させていただこうと思います。みんなで、息子さんの無念を晴らしましょう。二度と再びこのようなことが起こらない国を作りましょう。

 亡くなった少年の冥福を心からご回向、御祈念させていただきます。


大津市・いじめ自殺 校長が生徒に「自殺の練習はウソ」発言
kuma chan さんが 2012/07/09 に公開

 例によって、難しいことを書くと脈略が乱れ、何を言ってんだか分からない文章になってしまって、大変申し訳ありません。

河野太郎さんに聞く 原発、エネルギーそして政治のこと


rioakiyama さんが 2011/10/28 にアップロード
『河野太郎さんに聞く 原発、エネルギーそして政治のこと』
2011年10月18日(火)19時~21時
主催:NPOかまわ、1192プロジェクト
会場:一花屋(神奈川県鎌倉市坂の下18-5)

河野太郎さん(自民党・現衆議院議員)をお呼びして、エネルギー政策、核燃料サイクルの現実についてお話をして頂きました。

河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/

イマジン 原発のない未来
http://imagine.greenwebs.net/

かまわ
http://kamawa.net/

撮影:秋山理央
機材:Panasonic AG-DVX100B、audio-technica AT4040

秋山理央
http://nonukes710.exblog.jp/
http://twitter.com/#!/RIO_AKIYAMA