国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 の調査について思うこと。
まぁ、ほかの組織よりは良くやってるのだと思う。
ぼくは、今回の原発事故が起こった原因については、民主党を責める気は全くない。
責めを負うべきは自民党だ。
ただ、原因を作ったことに対してと同等の免れえない責任があると思っている。
FBの江田 憲司氏のタイムラインにもちょこっとコメントしたが、
このままだったら、大変なことが起こると予見しながら、
ほうっておいて大変なことを起こした場合は、
『未必の故意』と言って犯罪として裁かれることになるんだ。
ただ今回は、原発事故による壊滅的な被害が出なかったので、
このことに関しては法的責任を追及する手段はない。
だが、その可能性は大いにあった。
追求されるべきは、政治的・倫理的責任だ。
これが法的責任より上位にあるものだと認識できない人は、
人の上に立ってはいけない。
法で裁くことが出来ないなら、選挙でぼくたちが裁くしかない。
彼らに責任をとらせると言っても、
かれらは、決して中小零細の親父や*******役人のように
命を持って償うと言うことはしないし、それを要求することも出来ない。
ぼくの言う話は、未曾有のとか、観測史上、初めてとかそんな話ではない。
そう、あの戦争の話だ。実際に被害にあった人がまだまだ生きておられる。
歴史的には、そんな直近の話だ。
あのときも、完全に手詰まりで、思考停止に陥りながらも、
責任をとるべき人が責任を回避し続け、決断すべきひとが決断しなかったが故に、
ぼくたちは阿鼻叫喚の地獄の中に突き落とされたのだ。
そして、結局のところ、確かに戦争裁判は行われた。
でも、外人に外人の都合で裁かれただけだ。
ぼくたちは、その責任について、なにもしなかったし、その後も考えてこなかった。
今回も、そのツケが回ってきただけだとも言えるんだ。
このあたりのことは、敗戦直後に丸山真男が言ったことだけれど、
彼も最終的な詰めをしなかった。
意図的に避けたと言うべきだろう。
時代背景から言って責めることは出来ないとも思う。
最終的な詰めをするべきであったのは、天皇その人か、ぼく達だったんだと思う。
いや、そう言う言い方はもう止めよう。
ぼく達だったんだ。
ぼく達も、相も変わらず『無責任の体系』を支えてきたのだ。
あの戦争の決着をつけないままに放置してきたツケだ。
ハッキリ言う。
あの戦争の決着は、昭和天皇をもってしかケリつけられなかった。
そして、それをぼく達は回避した。
そのツケが、いまの情けない国体のあり方だ。
悲しいことだけれど、自国民の血を持ってしか民主主義というのは成就しないものだ。
その血の質と量こそが、その国の民主主義の力だ。
状況を把握できなかったとは言え、初戦の勝利に目が眩み戦争を支持し続けたのと、
同類の構造がそこにはある。(・・・飛びすぎか?まぁ、隙間を埋めるのは面倒なので自分で埋めてみてください。)
消費税増税を支持する行為も、空気に寄ってしか物事を評価しないぼくたちの特性だ。
自らの責任を回避しながら利益を得ようとする人がいて、
考えることをせずに人に流されるままついて行き責任を回避する人がいる。
そして、結果的にほんとうに責任のない人ばかりがひどい目に遭う。
でも、小出氏の著書の題名の通りだ。
騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実/小出 裕章

¥1,000
Amazon.co.jp
この体系の中に、ぼく達はいる。
これを放置しておけば、必ず、また姿を変えても大きな人災がまた起こると言うことを、
ぼくたちひとり一人が肝に銘じておかなければならない。
このようなことは、ぼく達の日本に限らず、あらゆる国にある。
でも、この国はそれが目に余るんだ。
なんか、言いたいことが言えていない気がする。
話がそれるのが、悪いクセだ。・・・解ってる。
今回の原発事故は、天災でも、技術的な災害でもない。人災であるということ。
その原因は、いろんなところで様々な問題を生み出し続けている。
・・・そんな風なことが言いたいんだよ・・・多分・・・( ̄_ ̄ i)
P.S.
(-_-;)・・・・なにを言ってるんだかよくわかりませんねぇ・・・・。
本気で怒ってるんですよ、実は。
そのうちまとめなおしますわ・・・・この記事は・・・・。
ぼくは、今回の原発事故が起こった原因については、民主党を責める気は全くない。
責めを負うべきは自民党だ。
ただ、原因を作ったことに対してと同等の免れえない責任があると思っている。
FBの江田 憲司氏のタイムラインにもちょこっとコメントしたが、
『ぼくが一番許せないのは、
完全に手詰まりで、思考停止に陥りながらも、
安全と言い続けたことです。
国民の生命と言うものに価値を置いていない証左です。
今回もたまたま運が良かっただけです。
運が良かったからと言って許してはいけないと思います。』
このままだったら、大変なことが起こると予見しながら、
ほうっておいて大変なことを起こした場合は、
『未必の故意』と言って犯罪として裁かれることになるんだ。
ただ今回は、原発事故による壊滅的な被害が出なかったので、
このことに関しては法的責任を追及する手段はない。
だが、その可能性は大いにあった。
追求されるべきは、政治的・倫理的責任だ。
これが法的責任より上位にあるものだと認識できない人は、
人の上に立ってはいけない。
法で裁くことが出来ないなら、選挙でぼくたちが裁くしかない。
彼らに責任をとらせると言っても、
かれらは、決して中小零細の親父や*******役人のように
命を持って償うと言うことはしないし、それを要求することも出来ない。
ぼくの言う話は、未曾有のとか、観測史上、初めてとかそんな話ではない。
そう、あの戦争の話だ。実際に被害にあった人がまだまだ生きておられる。
歴史的には、そんな直近の話だ。
あのときも、完全に手詰まりで、思考停止に陥りながらも、
責任をとるべき人が責任を回避し続け、決断すべきひとが決断しなかったが故に、
ぼくたちは阿鼻叫喚の地獄の中に突き落とされたのだ。
そして、結局のところ、確かに戦争裁判は行われた。
でも、外人に外人の都合で裁かれただけだ。
ぼくたちは、その責任について、なにもしなかったし、その後も考えてこなかった。
今回も、そのツケが回ってきただけだとも言えるんだ。
このあたりのことは、敗戦直後に丸山真男が言ったことだけれど、
彼も最終的な詰めをしなかった。
意図的に避けたと言うべきだろう。
時代背景から言って責めることは出来ないとも思う。
最終的な詰めをするべきであったのは、天皇その人か、ぼく達だったんだと思う。
いや、そう言う言い方はもう止めよう。
ぼく達だったんだ。
ぼく達も、相も変わらず『無責任の体系』を支えてきたのだ。
あの戦争の決着をつけないままに放置してきたツケだ。
ハッキリ言う。
あの戦争の決着は、昭和天皇をもってしかケリつけられなかった。
そして、それをぼく達は回避した。
そのツケが、いまの情けない国体のあり方だ。
悲しいことだけれど、自国民の血を持ってしか民主主義というのは成就しないものだ。
その血の質と量こそが、その国の民主主義の力だ。
状況を把握できなかったとは言え、初戦の勝利に目が眩み戦争を支持し続けたのと、
同類の構造がそこにはある。(・・・飛びすぎか?まぁ、隙間を埋めるのは面倒なので自分で埋めてみてください。)
消費税増税を支持する行為も、空気に寄ってしか物事を評価しないぼくたちの特性だ。
自らの責任を回避しながら利益を得ようとする人がいて、
考えることをせずに人に流されるままついて行き責任を回避する人がいる。
そして、結果的にほんとうに責任のない人ばかりがひどい目に遭う。
でも、小出氏の著書の題名の通りだ。
騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実/小出 裕章

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この体系の中に、ぼく達はいる。
これを放置しておけば、必ず、また姿を変えても大きな人災がまた起こると言うことを、
ぼくたちひとり一人が肝に銘じておかなければならない。
このようなことは、ぼく達の日本に限らず、あらゆる国にある。
でも、この国はそれが目に余るんだ。
なんか、言いたいことが言えていない気がする。
話がそれるのが、悪いクセだ。・・・解ってる。
今回の原発事故は、天災でも、技術的な災害でもない。人災であるということ。
その原因は、いろんなところで様々な問題を生み出し続けている。
・・・そんな風なことが言いたいんだよ・・・多分・・・( ̄_ ̄ i)
P.S.
(-_-;)・・・・なにを言ってるんだかよくわかりませんねぇ・・・・。
本気で怒ってるんですよ、実は。
そのうちまとめなおしますわ・・・・この記事は・・・・。