と言うことで あの日あの時も貴方は何処へ も
4/9日立市にて「原発を正しく考える会」以来で シリーズ化かしら
で昨日5月22日午後は 永田町へ
米国大統領がオイラに逢いに来るというので、界隈は警察の警備も厳重で
警察官の数がいつもの 倍でん!
オイラが中学生の時に誘いがなかったので 行かなかった
都立日比谷高校関連の こんなところへ
こんな式典の為に
スケジュールは
決議文(案)
司会の佐波優子(戦後問題ジャーナリスト)の進行により
始まりました 佐波さんはシックなお召し物で 大人の女性
(no photo)
オープニングの催しはYSP川崎パーランクによる「ミルクムナリ」
望月よしえ氏による 国家独唱が続き
(no photo)
飛行機の時間の関係で前倒しで豊見城市議会議員 宜保安孝氏の来賓あいさつ
スケジュールに戻り
仲村俊子氏(沖縄防衛協会初代婦人部長)によるビデオメッセージ
仲村氏は屋良朝苗氏 佐藤栄作氏他沖縄県復帰の偉人です
現在100歳ですが しっかりしておられます
50数年前 米軍統治下の沖縄では復帰希望の声が上がり
鹿児島県与論島からも漁船が辺戸岬沖に展開し復帰運動熱が高まりました 与論島に 復帰の碑があります
(ちなみに鹿児島県与論島より沖縄県伊平屋島の方が緯度が高い)
しかし 当時は、祖国復帰反対の声も大きく 復帰反対のデモや
議員さんが日本国会で復帰反対の発言をしたり・・
危機感を抱いた教師の仲村俊子氏が 復帰運動を展開推進
したおかげもあり 復帰にこぎつけた
当時高校生だったオイラ ニュースでは見聞きしてましたが
復帰前の沖縄に親友が訪問したことが 親近感の芽生えが?
と言いながらも 実際オイラが沖縄に行ったのが20年前
高卒で入社した会社をリストラされ 日本の北端南端西端東端を巡ることを思い立った 30年のブランクがあるのね
そして17年前 宮古島に移住しました
以来沖縄県の有人島は慶良間の前島以外全て訪れました
がしかしバットストライク たった1年で千葉北西部に戻って
ここの家のローンと宮古島のアパート代を払ってましたからね ここがすぐ売れると思ってましたが・・・今もノータリンですけど 当時もバカだったんですね
そして式典に戻る な・な・なんと琉球国王の末裔
第二尚氏第23代当主 一般社団法人琉球歴史文化継承振興会代表理事 尚衛氏の挨拶
オイラがGWに伊平屋・伊是名に行ったから 実現したのか?
んなわきゃないか・・
国連が言ってるような 琉球の民は先住民族じゃなく 日本国民
であり 沖縄の分断行為に反対・と
前衆議院長尾たかし氏による挨拶
相変わらず歯切れがいいです
そして祝賀メッセージがあちこち だれかれと
西村慎吾さんですね
青年弁論
仲村隆次氏
神谷龍氏
沖縄県祖国復帰50周年記念ドキュメンタリー映画「島人の戦後秘史」一部上映
祝賀芸能
山口采希氏による「世界に誇る祖国の歴史」「今、ぼくら」「愛国行進曲」3曲 歌唱
おじさん旗振ってます
望月よしえ氏による「芭蕉布」「私の美ら海」「ダイナミック琉球」
3曲歌唱
会場が熱気のせいで暑かったからか・オイラの目から汗が出てきそうなのを こらえました
桜美林大学沖縄エイサー部桜風エイサー琉球風車
の皆様による「エイサーメドレー」
ちゅらかーぎ こーなー
昼下がりだというのに「アサアサアサアサアサ」でこうなるわけよ
中野区議会議員 吉田康一郎氏による決議文朗読
今更聞けない皇室研究会 村田春樹氏 指導による万歳三唱
50年前の15日、東京武道館で両陛下をお招きして記念式典が行われ佐藤栄作首相が「沖縄祖国復帰萬歳」の音頭をとった。同時刻那覇の市民会館でも式典が行われた。
主催者である屋良朝苗(最後の琉球政府行政主席、沖縄県復帰後最初の知事)が万歳の音頭を取った。
屋良は昭和28年、沖縄教職員会会長の時に衆議院で沖縄の児童生徒への援助を懇請、祖国復帰を熱望して声涙ともに下る名演説をしている。極々一部を紹介する。
「・・・痛々しくも祖国に殉じた青少年男女学徒等の最期をわれわれは絶対に忘れることはできません。」
「彼らは愛する祖国を守るためにこそ、純情一途に最後まで祖国の勝利を信じつつ、あたら花のつぼみのようなうら若い身を、かの映画『ひめゆりの塔』で見られますように祖国に捧げたのでありました。」
「われわれはいかなる障害を乗り越えても彼女らの純情を生かしてやりたいのであります。このことはわれわれ沖縄教育者の至上崇高なる課題であります。すなわちわれわれは彼らが文字通り身をもって守って来た祖国を失わしたくはないのであります。」
「国政に参与せられる皆様、どうぞこの島に眠る戦没者の魂の声を聞きとっていただきたい。また条件はどうであろうと、いやしくも祖国を有し、それと一連の共通の文化と歴史を持ち、日本人としての民族的矜持を有する沖縄の住民が、どうしていつまでも異民族の統治下に満足しておられましようか。どうぞ沖縄の住民の立場になって考えていただきたいと思うのであります。・・・」
私はこれを読む度に落涙を禁じ得ない。
さて話しは萬歳の音頭に戻る。屋良は革新つまり社会党共産党に担がれていた。
だから本欄の読者には彼に良い感情を持っていない人も多いと思う。しかし彼はなんと当日式典で「天皇陛下萬歳」と叫んだのだ。
事前に察知した周囲が「それはやめろ」と迫ったが屋良は言った。
「それでも私は天皇陛下萬歳を叫ぶ、私の娘がしたように。」
周囲は黙るしかなかった。
屋良の娘ヨシはあのひめゆり部隊に志願して散華したのである。
式典の最中屋良の胸中には様々なことが走馬灯の様に巡ったことだろう。
大正10年18歳の時沖縄に行啓された皇太子(御年19歳)を間近で拝礼したこと、50年後に東京で式典にご臨席の天皇陛下。
そして激戦の沖縄で散華した娘ヨシ、彼女はどれほど日本の勝利沖縄の安寧を祈り戦ったことか。
屋良は娘に語りかけただろう。
「沖縄は無事に日本に帰ってきたよ。安心しなさい。」
屋良は決心した、娘の分まで天皇陛下萬歳を叫ぶと。
来たる5月22日13時30分、星陵会館で良識派の祝賀式典が開催される。式典最後に不肖村田が萬歳の音頭を取る。
ちゅうこんで 5/22 充実した午後でした パレードには行きませんでした
あれ?おかしいな 米国大統領と逢ってないな!
























