琉球國(ウチナークチでルーチュクク)と呼ばれたのは三山統一して琉球王国が出来た1429~琉球処分で沖縄県になった1879までで(と言っても、1609からは薩摩藩の支配下だったので、450年の内270年間は薩摩藩傀儡の王国)それ以前は阿児奈波(おきなわ)島と一般的に呼ばれていたようです、地方それぞれが割拠していたのでしょうが・第10回遣唐使船にて鑑真和上が本土に着く前に「阿児奈波島に立ち寄った」と・記録されて居ります、753年の事(奈良時代)でした:阿児奈波これは唐の文字ではなく、日本国語の当て字だったようです。
そんな阿児奈波に12/27から1/2行ってきました
明けて2018:平成30年:皇紀2678年がやってまいりました
いつの話やねんなー~って感じですが
元旦おんなはじめを経て向かったのが八重岳で 恒例の初花見
定期観測木の状況

いつもよりもさらに、さみしげですが::よく見ると可憐な花がそこかしこに


青空に映える真紅の桜 いいもんですね



詳しくは↓
ところで知ってました、1844年来航して和好・通商・布教認可を求めて琉球に頑なに拒まれた:フランス軍艦の艦長デュ・プラン提督はそれでも琉球の意向を無視し1年後に大総兵船での再来訪を予告し宣教師と中国人通訳を残して一旦退去した、
残った両人はイギリスの琉球占領の意図を強調!フランスの保護下に入ることを勧め
和好・通商・布教認可を求め続けた。
フランス軍艦来航の情報は飛び船にて、薩摩に::早馬にて江戸に・・
島津斉興の命を受けた家老と老中阿部正弘は協議し「幕府から警固兵を派遣するよう内命が下され」薩摩藩から総勢七十五名を琉球に送った