琉球國(ウチナークチでルーチュクク)と呼ばれたのは三山統一して琉球王国が出来た1429~琉球処分で沖縄県になった1879までで(と言っても、1609からは薩摩藩の支配下だったので、450年の内270年間は薩摩藩傀儡の王国)それ以前は阿児奈波(おきなわ)島と一般的に呼ばれていたようです、地方それぞれが割拠していたのでしょうが・第10回遣唐使船にて鑑真和上が本土に着く前に「阿児奈波島に立ち寄った」と・記録されて居ります、753年の事(奈良時代)でした:阿児奈波これは唐の文字ではなく、日本国語の当て字だったようです。
そんな阿児奈波に12/7から1/2行ってきました
八重瀬町港川公園をウオッチングした後川向のサキハマ採石場などに迷い込み・・その後向かったのがニライカナイ
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2016/1/5の走行時は↓

そして志喜屋漁港や知念の港に寄りながら着いたのが知念岬
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体育館の駐車場は大晦日にうがんするためか斎場御嶽行く人で混んでました
ニライカナイはどっ知念!

知ってました?
明清動乱期に勃興しようとする「清」に対し、琉球王国は減清複明のもと明の皇族を応援しましたが遂に明は滅び 元寇のように攻めてくるのではと心配した琉球は八重山の遠見台を充実させるなど対策しました
もし清国が古来より薩摩に属してる琉球の衣冠を替える:つまり清の満州人のように弁髪を改めよと要求してきたら「一人藩のみにならず、日本の恥となることと同じ藩主に申しあげ幕府に願い出て琉球に軍を立てこれに備えることが妥当である」との要望に対し
幕府は『琉球に清国王の命を聞かせる方がよいだろう、もし清国王の命を断れば国難が起きる、あえて禍を招くっことはするな』と
現代の政府の尖閣対応と同様中国を刺激するな  の事なかれ主義で辟易しますね