【国立沖縄青少年交流の家】のある〔赤間山〕にやって参りました家といってもかなり広いです
先ずは【西展望台】です


こんなコンデジを使ってます
ぱっぱのらまー

曇天が恨めしい!
続いて〔集団自決〕の跡地にやって参りました:交流の家周囲はハブ侵入防止のコンクリート塀が張り巡らされていますが、ここは切れてます:「必ず進入防止策は締めてください」と書いて有りました


軍の命令があったかどうかは、解りませんが:集団で自決した事実は間違いありません
「鬼畜米英の兵隊が責めてくれば女は辱めをうけ。男はドラム缶に入れられ焼き殺される:その前に自分達の力で死のう」
と:互いの首を引っ張り:突き刺し:手榴弾を爆発させ:死体が・折り重なって
頭にV字型の傷を負った男の子が泣き叫び走り回り::軍医はもう助からないだろうと判断!
村の幹部は死のうと集合させたり:実際に自決したりしたようです:軍がそのとき「ハイ皆さん死になさい」
といったかどうか?でも当時の教育は前述のようで:軍もそのように流布していたであろう
ひめゆり資料館にいっても平和祈念資料館に行っても旧海軍指令壕に行っても、兵隊は住民に対して決して丁寧に接してはいなかったと・推測されます:全体が狂気の中で軍だけを批判する事は出来ませんが
(小笠原でも、米軍上陸前に女は両足を紐で縛り:崖の上から海へ投身!!)
次は【東展望台】

ぱっぱのらまー

右の方に見える〔前島〕は、しばらく無人島で荒れ放題だったのですがー、最近以前住んでた夫婦が移って来て開拓しているそうです
バスの中で・展望台の前で・自決跡地の前で::おばさんは教えてくれました::頭の中が一杯になりました・
ハンカチが乾きません