さて、いきなりですが、江戸時代から流人の島とされてきた八丈島にも、更にもっと古からの歴史が御座います
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島内神祉記・八丈実記・神社仏閣史跡台帳では、祭神が、天照皇大神と大山祇命となっているが、島民の古くからの言い伝えと『伊豆七島志』の記載から、祭神は八十八重姫と許志伎命(こしきのみこと)であると思われる。明治維新以後の政府の指導によって、主神は、天照皇大神や大山祇命にさせられたのではなかろうか事代主命は八人の妃(きさき)がいたが、その一人八十八重姫(やそやえひめ)は、その子古宝丸(こほうまる)とともに八丈島に渡り、島を治めた。この二人が、八丈島の総鎮守とされているが、丹那婆の墓の、丹那とその子どもに該当するものである。八十八重姫の優婆明神(うばみょうじん)と占宝丸の宝(ほう)明神が祀られた二神相殿で、十一月十三日が祭礼日となっている。石造り社殿には「旦那宗麟(だんなそうりん)」の墨書銘と陰刻花押(いんこくかおう)のある木造女神座像(都文化財指定)が安置されているとされる。社殿は、かつては奥の方にあったがシロアリによって崩壊し、石造りの本殿のみが現在地に建てられた。昭和五十年代以後に、社務所、そして拝殿がつくられたという
 
 
 
 
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為朝の子供も通ったか、玉石垣の道(玉石垣の方が後でしたかー~~)
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近くにはこんなんがー~びっくりっくしてね
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