池上本門寺の2回目

本殿内におわします、
「阿形」
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「吽形」
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木製の仁王は、てっこんきんくりーと製の本殿の中にいらせられます。
これでは、御役目果たせませんね
因みに、歳を増すごとに、元気になられて、精力絶倫の男性を「悶々爺」と呼ぶとか呼ばぬとか




その『本殿』です(裏側から)
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『御廟所』
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『本殿』横の苔場
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『本殿』から『大堂』『五重塔』方面を望む
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歴史のある『水煙』
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自己紹介
此れが『オイラ』です
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『五重塔』
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本殿
 昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したのが本殿であり、場所は、旧祖師堂の左隣から境内の奥の方へ移した。開堂供養大導師は第80世金子日威聖人。昭和44年完成。現代的な鉄筋コンクリート造の仏堂建築として評価が高く、その後、各地で当堂を模す例が増えている。
 正面内陣には、久遠の本師釈迦牟尼仏坐像と、本化地涌の四大菩薩立像、ならびに大堂尊像を模刻した祖師像をまつる。仏教美術協会(日本を代表する仏像制作グループ)の諸師が彫刻したもので、いずれも現代の仏像を代表する作品である。ちなみに、釈迦仏の胎内には、インドのガンジー伝来で故ネール首相より寄贈された釈尊の真舎利2粒が奉安されている。
 なお、古くからの釈迦堂は幾度となく罹災、天正年間の再建堂も宝永7年(1710)に焼失、第25世日 聖人代の享保15年(1730)、徳川8代将軍吉宗公が御母深徳院殿の追福のために再建した。旧扁額「釈王殿」は伏見宮親王宸筆であった。また、旧一尊四士四天の尊像は、伝運慶作、日蓮聖人御開眼であったという。