孤独の発明

孤独の発明

ブログの説明を入力します。

わたしたちは常に消費しているのでしょうか。

ぬるい思考で人生を考えてみます。

一応、宗教とは無関係ですのでご了承ください。

Amebaでブログを始めよう!

イングランド、例えばロンドン在住の人に、「FC東京のファンなんだ」と言われたらどう思うだろうか。
もちろん嬉しい。これは間違いない。
しかし同時に思うはずだ。
「あなたの国にはトップレベルのリーグがあるではないか。そしてトッテナムというチームがあるではないか」と。
「サッカーは世界的なスポーツだろ? いつも中継を見ているよ」
そう言われても、やはり納得はいかないであろう。

ではタイ人がFC東京を好きだ。もうサッカーといえば東京しか見ないんだ、と言われたらどうだろう。
まあタイリーグはJリーグよりもレベルが低いから、そういうものかなと思うだろうか。
しかしやはり「おらが街のチーム」を応援すればいいのに、そう思う人が多いだろう。

日本にはユナイテッドやシティ、レアルやバルサのファンを公言する人がごろごろいる。
これはもちろん、それらのチームのサッカーが好きだ、という意味ならとてもよく分かる。
わたしだって大好きだ。
ただ「Jリーグなんてみないよ。レベル低いし。シティの試合だけで十分」という人は理解できない。
サッカーが好きなことは認めるが、サッカーを愛しているのではないと思う。

FC東京を応援してくれる外国人に不快感は抱かないだろう。
しかし違和感は残る。
これは向こうも一緒である。
ユナイテッドのファンに「日本人だけど大ファンなんだ」といえばイギリス人は悪い顔はしないだろう。
しかし彼らに混じって肩を組んで応援して喜びを分かち合おうとすると、おそらくこう思うだろう。
「俺たちの街のチームだぜ? 君は部外者だろう?」

所詮部外者なのである。
サッカーの先進国は、その町に生まれ育ち、当然のように、そのチームがどのカテゴリーに属していようと当然応援するという。
つまり生まれた瞬間に運命づけられたサポーターなのである。
そこに外国人が入ってくる余地は、ない。
人生そのものになるはずがない。

わたしは極論ではあるが、好きなチームは当然どこにあっても良いと思う。
ただ恍惚感、生きることの意味をその関係のない国の関係のないチームに求めることは、違うと思う。
部外者だからである。
血筋のないものが家族でないのと同様である。
ならば血筋がないのなら、嫁げばよい。
それほど私の街のチームというのは、重いものだと感じている。