昨夜、大津市の大事故のニュースを目にした。

事故を起こしたという二人の容疑者は逮捕され当然会見はできない。大きな事故だったためか、マスコミは犠牲となった園児たちの保育園側に会見した。あるいは保育園側がマスコミに申し出て会見を開いたのか?定かではない。当然マスコミは様々な質問をするのだが、どうもその質問の仕方が、保育園側の責任を追及しようという風に見えて仕方がない。保育園側の男性が分かる範囲内で必死に説明する姿と、その隣で質問を受けた園長先生の号泣。この映像に対し全国のSNSではマスコミに対する批判が殺到。園長先生の号泣には胸が締め付けられる思いで見ていた人も多かったでしょう。

つるの剛士さんもツィッターで「園長先生見ていられない」と発していた。

 

事故は、直進車と右折車の衝突により直進車が歩道に乗り上げ、ちょうどそこで信号待ちをしていた保育園児の列に突っ込んだもの。

ざっと聞いただけでも、右折車の方に非があるようだった。ただ、右折車が右折しようとしてくるのをどのタイミングで認識できたのかで、直進車にも責任は出てくるため、その時点では一概に右折車だけが悪いとも言い切れなかった。マスコミは、悪者のいない会見会場で本能的にやり場のない責任追及姿勢を、保育園側に向けているように感じた。

 

ただ、今回わたしは

園長先生の号泣している姿が、昔の記憶と重なり

“あの時”のことが鮮明に思い出されて仕方なく、マスゴミのクズさを責める気力が萎えてしまっていた。

 

数十年前、幼稚園児だった私は、幼稚園で何かを作成していた。

そんな時、ふいに頭を叩かれた。

咄嗟に見上げると、体の大きな髪の毛がぼわ~とくりくりした男の子が私の頭にさらに一撃を加えようとしていた、私はたぶん「やめて!」と言ったと記憶している。

追い返したのか、それとも向こうが強気に出て更に一撃を加えられたのか定かではなかったが、先生を探して助けを求めようとしたことまでは覚えている。そんなことが一回ではなかったように記憶している。そしてその男の子は私だけではなく他の女の子にも危害を加えていた。

何故、先生はもっとちゃんと止めさせてくれないのかな・・そんな不満もあったように思う。

 

次の記憶は、お帰りの時。みんなで並んでそれぞれの保護者が待つところまで先生が送っていたようだ。私の頭をぶちに来るその男の子はいつも列から外れ前に行ったり後ろに戻ったりしながらフラフラしている。先生から注意されると元の場所へ戻ろうとするのだが、もはやどこだかわからなくなり、適当なところへ入ろうとするのだ。すると、男の子たちから、「どけ!」「あっちいけ!」「お前はここじゃないだろ!」などと言われ列に入ることができない。

いつもそんな調子だったのだが、その日はいつになく男の子たちの攻撃が激しかった。

毎回、お帰りの時に同じことを繰り返すその子に嫌気がさしたのか、「おまえなんかいなくなれ!」と口々に言われ、その男の子は少々パニック気味になってしまっていた。

その日は私もぶたれた日だったので、心の中で「そうだあんな子いなくなればいいのに」と強く思った。

もしかしたら男の子たちに交じって口にしてしまっていたかもしれない。

 

そしてその事故は起こってしまったのです。

 

いつもの踏切にさしかかり遮断機が下りていて待っている時、いつものことだったのですが、その問題児は待つことができず、遮断機を潜り走って渡ってしまうのです。理由は踏切の向こうに彼のお母さんが待っているからです。

だから、遮断機が下りている時は先生がその問題児を踏切手前で抑えている光景が常でした。

その踏切は駅から下り方面へ行った数m先にあり、お帰りの時間帯はたいてい下り電車が来ていて、電車が通り過ぎ遮断機が上がるまでの時間は幼稚園児にはとても長く感じました。

 

“その日”いきなり先生が大きな声で「みんな後ろ向いてて!!」と叫びました。何だろうと思ったけど、何度も先生がそう叫ぶので、後ろを向いていたのですが、いつまでたっても何も言わないので、しびれを切らしつい振り返ると・・・

 

そこには、血だらけで手足をダランとたらした問題児を、その子の血で血だらけになりながらも抱きかかえ憚らず号泣する、若い先生の姿がありました。

 

 

今になってこう思うのです。

その男の子は多分ADHDであり知的発達障害もあったかもしれません。

そのせいで、うまくコミュニケーションがとれずいつも男の子たちからイジメられ、そのはけ口に女の子をぶってしまっていたのでしょう。

 

そして当然お帰りの列からも出てしまう。

 

そして“その日”いつになく他の男の子たちから「お前なんかいなくなればいい!」など酷い言われ方をしていたせいか、きっと彼はお母さんに甘えたい気持ちが“いつにも増して”強かったんだと思います。

踏切の向こうの母親を見つけるや、

制する先生をものすごい力で振り切って(園児といえど体の大きな男の子だったので)遮断機内に入ってしまった。

今までも常習でしたがこれまでは無事でいられた。

でもその日は・・・彼にとっていろんな悪いタイミングが重なった日だったと思います。

 

今、その男の子の様子を思出して、即死だったろうと思います。

 


今回の園長先生と、その時の先生の号泣する姿がふいに重なったのです。

 

 

保育時に子供が事故で亡くなった事実を前に、携わった保育士の思いは如何ばかりか、それは時代を超えて変わらないと思う。

 

 

これが、もし今のニュースに流れたなら、SNSなどで幼稚園や先生も全国から非難の嵐だったでしょう。

踏切を渡らないところで待ってあげたらよかったのに、など、母親にまで非難が向けられていたかもしれません。

でも、思うのですが、

関係のない人たちが無意味に非難しても、マスコミが非難を煽るような視聴率上げ報道をしても

死んだ人は戻らないし、

事故は起こるときは起こるし

起こらないときは起こらないものです。

 

その夜、祖母の家に私を迎えに来た母と祖母との会話で母は「きっと先生責任とって辞めちゃうだろうね。」

「一生忘れられないと思うよ。まだ若いのにかわいそうにね。」

と言ったことも覚えています。

幼稚園児には難しい会話のようなのに、当時の私にはその母の言葉の意味を理解していました。

だから、今はっきり思い出せる。

そう思い出すと・・子供ってふいに大人の意識になれるんですよね。

 

 

あの時代はもう少しいろんな意味で、厳しさもありながらも、人が人に対して優しい時代だったと思います。

 

 

 

実はこの話には後日談があるのです。

数日後、その男の子のお葬式に行くことになりました。

当時、両親共働きだったので私は祖母に預けられていて幼稚園の送り迎えも祖母にしてもらっていたので、祖母とお葬式に行きました。

男の子の家は、事故のあった踏切の向こうにある団地でした。

お葬式は昼間でしたが、団地の敷地には大きな杉が数本立ち並び、団地はうっそうとしていました。

その子の家に入り、玄関から部屋へ入ると幼稚園にあるような椅子が並びその後ろの窓からは緩やかな日差しがあり、そして・・・その椅子の最前列には・・・なんと事故であんなに血だらけでぐったりしていて・・そして亡くなったはずの男の子が平然と座ってこちらを見ていたのです。

髪の毛は相変わらずぼわ~とくりくりして、そこに日差しが当たり金髪みたいに輝いていました。

私は「あれ?元気に生きてるじゃない」と思った。

でも祭壇を見るとその子の遺影が・・・

お葬式の写真の子がそこに座ってる・・・。

 

「お葬式ってなんだろう?

元気になったお祝い?」

当時の自分の気持ちを言葉にすればそんな混乱した気持ちでした。

 

しかし、その男の子の様子がいつもと違うことに気づきました。

まるで人が変わったみたいに大人しくきちんと座り、しっかりとした眼差しをこちらに向けていました。

そして全体に少し透明感のあるふわっと白い感じ。

それでもまたその子にふいにぶたれるのでは・・と危機感も感じていましたが、でも、やはり男の子はじっとしていた。

 

私は、その子がじっとしているのを初めて見て、内心驚きました。

 

それなのに、ふいに祖母から祭壇に向かい線香をあげ手を合わせる一連の儀式を促されました。

幼心にも妙に感じつつ・・仕方なく一連の儀式を終え、またその子の方を見ると、その子はいなくなっていて、その代わりさっきまで誰も座っていなかった椅子にはいつのまにか数人の園児が座ってこちらを見ていました。

(あれ?いつの間にみんな入って来て座ったんだろう…音もしなかった)

私は祖母に「あの子は?」と事故で亡くなったはずだけど、さっきまで最前列に座っていたあの男の子の所在を聞いたと記憶しています。

少しのさみしさを感じつつ。

そして、おばあちゃんを困らせたと感じた記憶。

と同時にこの園児たちが座る椅子に自分も座らなくていいのかな?とか思った記憶。

 

帰りの道すがら、祖母は「死んだらもう帰ってこれないんだよ」と、「いなくなっちゃうんだよ」と、「体がなくなっちゃうんだから」と、私に死の意味をどう説明したものかという風に話していたと記憶しています。

 

 

幸福の科学で霊的世界や人間の本質を教わった今にして思えば・・・ですが、

あの男の子は、本来の魂は健全で、きちんと椅子に座ってしっかりとした眼差しをもった人で、私にちょっと申し訳なかったと思ったんじゃないかな。そして私が来た瞬間に、私とその子の何かが同通したのかなと。

 

その子が見えた時は、周りがシンとして人の気配がなく、祖母が隣にいるはずなのに、その気配もあまり感じませんでした。

正に私とその子だけがその空間にいた感じ。

少し不思議な時間(瞬間?)でした。

多分、実際には並んだ椅子に数人の園児が座っていたんだと思います。

でも、入った瞬間私には何故かこの世ならざる世界しか見えなかった。

そこにはあの男の子だけが座っていて、自分のお葬式に参加していたんだと思います。

一瞬、私の意識はその世界に入り込んでしまった。

幼子の純粋な意識だったのね。

 

 

私はそれ以来そうした霊的な体験はしたことがありません。

きっと霊的な体験というのは自分にとって意味があるものなのかもしれません。

 

 

怪我をされた園児たちの一日も早い回復と、

そして、亡くなった園児たちのご冥福をお祈りします。