宝石屋さんのつれづれ✩.*˚

宝石屋さんのつれづれ✩.*˚

元セルビー社長(*^^*) 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくる

ご覧いただきありがとうございますニコニコ

2001年に立ち上げました株式会社セルビーを 2022年夏、コメ兵HDに売却いたしました。
私のセルビー在職中、ご来店下さいましたお客様やネットでご購入下さいましたお客様、お世話になったお取引先様、頑張ってくれた社員の皆様には
心から深く御礼申し上げますm(_ _)m

引き継ぎのための約一年が過ぎ セルビーは私の手から離れました。
心機一転。再び ゼロからスタートいたしますビックリマーク
さてどうなるか。。。 目

宝石がお好きな方はもちろん、会社経営されている方
多少でも興味をお持ちいただけた方
何かの御縁かもしれません。
しばしお付き合いいただければ幸いですクローバー

 

山手線ゲーム(*^▽^*)/

 東京の環状線、山手線の駅名を挙げていくゲームをすると

「どうしても思い出せない駅ベスト3」に入ってしまう

存在感の薄い駅真顔 それは。。。

 

山手線の上野駅と秋葉原駅の間にある御徒町駅にっこり

理由の一つに住所として昔は存在していた御徒町の地名が

消えてしまったことも関係あるかもしれません。

 

でも実際のところ、JRだけでなく複数路線が乗り入れており

交通の便は非常によく、JR山手線の御徒町駅から

東京メトロ仲御徒町駅にかけての駅周辺の徒歩10分圏内に

1000軒を超える様々な宝石関連会社が軒を連ねている

実にディープな街です。

街をひと回りすると、あらゆる種類、サイズや形状、品質の宝石に出会うことができます。宝石を選ぶだけなく、鑑定(別)書を作成したり、枠を選んだり、修理(指輪のサイズの変更を含む)したり、ジュエリーを楽しむすべての要素がそろっていますキラキラ
30年ほど前は日本で販売されている宝飾品の6割が、この御徒町にある業者の手を通って全国に再配分されていくと言われていました。

 こうした背景もあり、私は株式会社三貴時代の先輩と共同で

御徒町の雑居ビルの一室を借りて小さな会社を設立しました。

ダイヤモンドルースの卸売りから始まって、枠へのメレダイヤやテーパーダイヤなどの石合わせ、展示会での小売り、

チラシの作成とチラシ掲載商品の卸売りへとビジネスの幅を少しずつ広げていきました。

 



 

本格的にバブルの後始末が始まったのは、住専問題が国会で取り上げられた1995年の頃から。 私が会社を設立した1993年は、

まだほんのりとバブルの余韻が残っている時期でした。

1997年になると、都市銀行の一角を占めていた 北海道拓殖銀行や四大証券のひとつである山一証券が経営破綻したり廃業に追い込まれ、翌1998年には長銀、日債銀までもが相次いで破綻、

景気の悪化は深刻さを増していきました。

金融機関が貸出先企業から融資を引き揚げる「貸しはがし」が流行語にまでなったのです。

この頃になると、御徒町も価格競争が激化し、必要な利益を確保するのは大変になりましたタラー
宝石が売れなくなった理由は、景気の悪化のせいだけとも言えませんでした。

取引先の小売店社長が「お客様がねダイヤもルビーもサファイアもエメラルドもパールも みんな持ってるんだよ。お腹いっぱいなんだって。腹いっぱいの客に、もっと食えって言ったって、無理だよ。」そう諦めたようにつぶやいていたのを思い出します。
 

2000年になり、日経新聞の「私の履歴書」を何気なく読んでいた時でした。モトローラの創業者であるガルビン親子の会話が目に飛び込んできたのです。

父であるポール・ガルビンに 息子のロバート(ボブ)が

「不況って何?」と訊いたところ、

父は一言「Too much.(過剰)」と答えたと言います。

このシーンが私には非常に印象深く感じられました。

「過剰」を解決する最も手っ取り早い方法は、お客様から不要になったジュエリーを「買い取る」ことだと思いつき、どのようにして買い取りと販売を両立させるかを考え始めました。

共同で設立した会社を退職し、新会社設立の準備を始めました。

翌2001年2月、私はセルビーを設立すると同時に「宝石買取のセルビー御徒町店」をオープンしました。社名のセルビーの意味についてよく質問を受けましたが、SELL(売る)とBUY(買う)をつないだ造語です。
 

セルビーは当時まだ珍しかったウェブサイトを利用した集客戦略によって、一般のお客様から不要になった宝石・貴金属を買い取り、それを楽天市場やヤフーオークション等のネット通販で販売していたのが特徴です。

まだインターネットが海のものとも山のものとも判断がつかない時代でした。こうすればうまくいくというロールモデルが確立されておらず毎日が手探りでした。

会社にある現金残高が数万円にまで減ってしまった時は肝を冷やしましたがガーン初めてお客様からジュエリーを買い取ることができた時の喜びは今でも忘れませんラブ