上野にて 


昨日、電車に乗って出かけてきたのだけど、人がたくさんいるところを歩くと、人々の精神状態がどんな感じか、よく分かります。

気分が、どうにもこうにも落ち込んで憂鬱気分に傾いている人が多いようですね。

人々を憂鬱にさせるバイブレーションが、まるで世の中に流れているのかと思う勢いで、今にも倒れそうな暗い顔をして歩いている人をたくさん見かけました。

理由があって落ち込むのはもちろんのこと、理由がなくても落ち込むことが人にはあります。

経済状態、健康状態、対人面、仕事面は変わらないのに、割と平気でいられる時と、憂鬱で憂鬱でどうしようもない時にハッキリと別れることもあるようです。


今の日本の世の中は、シラフでいたら、憂鬱になってもおかしくない状態ですが…


それはさておき、自分の憂鬱を救う一番手取り早い方法は、短期間でも、集中的に自分とご縁のある全ての人のお幸せを徹底的に祈ることです。

とりあえず、自分の暗い沈鬱なムードから離れることです。

自分が自分が…とか

自分のあれこれの悩みにどっぷりはまっていると、将来の不安もますます深まります。


重さもましていきます。


そうすると気づいてみたら、突如限界がきて、我慢できないとなるので、緊急避難的に自分から思いを離すことです。


他者の幸せを徹底的に念じると、自分のためにも結果的に良いのです。


私はこれまでの人生で、たくさんの危難を体験し、いくらでも鬱で寝込んだり、死んでもおかしくないという危機的状況を生きてきました。

病気も体験したし、経済苦も体験したし、人間関係でも、愛情面でも、何度も悲惨な体験を繰り返しました。

自分のちっぽけなエゴもプライドも、とんでもないほど大きな嵐に巻き込まれ、木っ端微塵に吹っ飛んだ体験をしました。

その時に私がしたことは、覚悟を決めて、自分を大いなる存在に委ね、ひたすら当時、自分が出会い、ご縁を持つ人々のお幸せを念じきることでした。

そうして、簡単な筋トレでも良いから、身体を動かすこと…。

そうしていると、憂鬱にならないでいられます。

自意識の強い人には、少し難しいかも知れないですが、私は人にとって、憂鬱になることほど、怖いことはないのでは?と思うのです。

あまりに苦しい時は、「◯◯すべき」とか、「◯◯しなきゃ」の思い込みから、一旦、逃れた方が良いと思います。

「すべき」とか、「しなきゃ」の思考で一日中、生活している人は、人生を楽しめていない人なので、何故自分の思考が「義務」と「責任」に偏ってしまったか?

一度、見直した方が良いです。

それが、誰か自分より強い立場にいた者からの洗脳や刷り込みならば、一度、向き合って、自分を自由にした方が良いと思います。

私自身は、子供時代から遡って、支配的な立場の人からつけられた刷り込みや、洗脳からは日々自由になっています。

そうでないと結局はいつまでも、被害者であり続けることになり、自分で自分の人生に責任を取る主体者になれないからです。

今日は、少し気になったので、普段とは違う路線で書きました。

そして、最後になりますが、あまりに雑念が多くて、心が鎮まらない時、痛みや不安が強すぎる時は、延命十句観音経を声に出して何をするにしても上げ続けると良いです。

精神が辛いピークは、5分とか、30分とかだったりします。

それを乗り越えれば何とかなるということもあります。

私はいつも皆様のことを祈っています。

延命十句観音経

観世音 
南無仏
与仏有因
与仏有縁
仏法僧縁
常楽我浄
朝念観世音
暮念観世音
念念従心起
念念不離心