写真は、柏の東海寺の摂社、妙見菩薩をお祭りしてあるお堂です。

東海寺には、布施弁天という弁天さまがお祭りされていますが、境内から少し離れたところにこちらのお堂があります。

このお堂は少し小高い丘に建てられています。

このお堂のあたりで、私の息子が鳥が視えるとやたら言うので、気に留めて見ると丘の中腹に塔が建てられていました。


鳥獣慰霊碑でした。

 

私は生き物が好きで、鳥も大好きなので、手を合わせました。


私は今、セキセイインコを2羽飼っているのですが、亡くした鳥のことも思い出しては絵にしています。



私の絵は、すごい下手な絵らしいのです。


以前、私はブログに大宮氷川神社に参拝に行く途中、南越谷駅を過ぎたあたりで、いきなり空気感が変わり、脳裏に美しい刀剣の映像が閃いてきたことがあります。


それで、夜、その刀剣を描いてブログにアップしたら、ある方からメッセージがきて、プロの画家さんが描かれたURLが貼られ、「これを観てください」と伝言されました。


URLから飛んで観てみたら、確かに素晴らしい刀剣の絵でした。


スサオノミコトの神剣の絵でした。


しかし、その方の思惑とは違い、その絵と私の絵とは、レベルが違い過ぎて、私はその絵を観ても何とも思わなかったのです。


その方は、プロが描かれた絵と私の絵を比較されたようで、私に「恥を知れ」と、「気安く神剣もどきの絵をアップするな」と伝えたかったようです。


私は、その方を「ちょっと怖いな」と思いました。


そして、私はその方のことは怖いと感じたけれど、絵については、「どうでも良いじゃない?」、「みんな好きなものを好きに描けば良いじゃない?」と思ったのです。


「こんな平和な世に…」とその時は思いました。


なぜかというと、私はさらに段違いのものを肉眼で、散々観てきた経験があったからです。


意外かも知れませんが、私は古くて美しいものを観るのが好きで、中国に住んでいた時は、上海博物館にもよく通っていました。


本当に鳥肌が立つ、魂が宿っているかと思われるものを、たくさん観てきました。


また、台湾の博物館にも何度も観に行っています。 

博物館に行くためにだけ、台湾に行った時もあります。


私は頭がよくないというか、学習向けではなく、芸術品を観ても、時代背景などや、名称を覚えられないタチなのですが、集中力は凄くて美にのめり込むのです。


私が好きなのは、特に翡翠などの彫り物だったりもしますが、中国の古典の芸術家は、皇帝の命を受け、祖父、息子、孫の三代に渡って命をかけて芸術品を作ったりするのです。


彫り物にしても、筆舌に尽くせないほど精巧に作られた芸術の極致ちの出来映えなのですが、もし、失敗でもしたら、皇帝の不興を買い、首が飛んでしまいます。


自分だけでなく、一族の命もかかっていたりしますから、常に極限状態で、全身全霊で創作していたのでしょう。


そういった何代にも渡って、一族の命運をかけて創られた芸術は凄まじい「時を超えた圧倒する存在感」を放っています。


私は、博物館に行くと気に入った芸術の前に佇み、その芸術を創った作者の魂を感じようとしたものでした。

 

私が心惹かれ、閉館ギリギリまで、そこから離れられなくなる芸術品を創った作者は、大体が「超えている」のです。


皇帝の不興を買って命が飛ぶのが怖いとかの念はもう超える域に到達しています。


ただただ己の魂が喜ぶから、歓喜だから、芸術を愛しているから、美を愛し、表現したいがためにそれを創っていたのです。


まぁ、これは私の妄想です。

スピリチュアルの人は、チャネリングと言うのかも知れませんね。


でも、話が飛び過ぎていますが、自分の魂が死への恐れを超えるほど、喜びを見出せるものに打ち込める人は幸せですよね。


その歓喜と至福のエネルギーは、物品に作者の念とともに残存しても不思議ではないと思うのです。


今日は、長くなり、すみません。

やはり、地震の気が凄くて、この2日、眠れないのです。


大地も海も、平和に鎮まるよう祈ります。



私が書いた本です📕



最期まで、レディで美しかったゆずちゃんの動画です。




私が今飼っている小鳥さん、ユピちゃんのの動画です。