錦糸町から徒歩数分のところにある千種稲荷神社のお写真です。
その頃は、朝の暗いうちに家を出て、あちこち朝散歩をしていました。
私は、去年の12月1日に父を亡くし、忌中は明けたけれど、いまだに神社は氏神様くらいしかお参りしていません。
何となく、気が乗らないのです。
それでもっぱらお寺に足を運んでいます。
また、神社でいえば、私は父の亡くなる前の11月中は、神社参拝を頻繁にしていました。
父が亡くなった後になって、「だから、私はあんなにも、神社参拝をしていたのか」と合点がいきました。
魂は、父の死を予期していて、それでもうしばらく神社に足を運べなくなるから、今のうちにと神社参りを繰り返していたようです。
ところで、私は12月31日の後は、2回しかブログをアップしていませんでした。
その理由というのが、12月31日に書いた記事に対して、ある人がコメントをしてきたのです。
そのコメントというのが、私が父の死を悲しむふりをしているとか、息子を使って…詳しい内容は省略はしますが、卑猥なコメントを入れられていました。
さらに私の本名●●を書き、本名に続き、「●●らしい」の後に嬉しげな絵文字を書き込まれていたのです。
そのコメントは、書き込まれた数時間後に見つけ、すぐに削除したものでした。
しかし、ブロ友さんの中には、そのコメントをご覧になられた方もいらっしゃったと思います。
たまたまご覧になられた1人の方は、私にお気遣いくださって、そのコメントを目にしたことも、つい最近まで私に伏せてくださっていました。
その方は、息子のランチショーに来てくださり、ライン交換もしていたのですが、私が話すまでは気を使って黙ってくださっていたのです。
そして、私にコメントの承認性のやり方を教えてくださいました。
そして、私は以降はコメントは承認性にすることにしました。
私自身のためだけでなく、ネガティブなコメントを入れられるとブロ友さんまで、心配させたり、悲しませてしまうと分かりましたから。
そして、私に対して、見当違いかつ卑猥なコメントを入れた男性は、その後、しばらくしてアカウントを消しました。
僧侶、修験を自称しておられましたが…。
私の本名は、調べようとすれば、息子経由で調べられることができますし、実はどうでも良いことなのです。
私の本名は、恥ずべき名でもなく、とても美しい名前ですし、本名で活動しても良いくらいなのです。
ただこの青山桃子も、非常に気に入り、青山桃子で活動すると決めたので青山桃子を使っているだけなのです。
それよりも、他者の肉親の死を揶揄し、他者の肉親の慶事を愚弄し、調べれば分かる本名を知ったくらいで、鬼の首を取ったように相手に突きつけたのが、僧侶や修験を名乗る人物だったことが私にとっては、考えさせられることでした。
それをすごく悲しいことだと私は感じました。
なぜ仏様への道を求めた人が、仏様の道にそぐわないことをするのか?仏様の道について考えていました。
また、悲しいと感じた一番の理由は、私を揶揄し、愚弄してマウントを取って密かな喜びに浸っている間、一番苦しんでいるは、私でなく、その方の魂だからです。
私を傷つけて喜ぶという行為は、自分を傷つけて喜ぶのと同じことだと思います。
私は仏様の名において、その方にはご自分をもっと愛していただきたいと思うのです。
自分を真に愛せるのは、自分自身なのですから。
それから、ついでに書きますが、12月31日に息子のランチショーのことを書いたのは、自慢したくて書いたわけではありません。
12月は色々と思うところはありましたが、色々な方が見てくださるブログですから、年末最後の記事と思い、あまり湿っぽくならないようにあえて喜び事を前面に出しただけなのです。
色々な人が色々な思いや、思惑で生きています。
3月には春がきますね。
春風と一緒に皆さまのところに幸せが来ると良いですね。