俺の働く老人施設には、本当にさまざまな老人がいる。
100歳近くでも元気に歩き回るお婆さん。
「健康寿命が長いことこそが、人生最高の復讐だ」と言い切る偏屈なお婆さん。
周りに不遜な態度を取り続け、一時期は命の危機で周り全員が「やれやれようやく逝ってくれるか」とホッとしていたのに、不死鳥のように復活し、今も怪気炎を上げ続けるお爺さん(憎まれっ子世に憚る)。
そして、半身不随となり、自分の力ではトイレも食事もできず、身体という牢獄に閉じ込められたような70歳のまだ若いお爺さん。
そこには、人間が重ねてきた年月のすべてが剥き出しになっている。
✅️ざっくり言うと
- 100歳超の元気な老人から身体の自由を失った人まで、現場で見る「老いのリアル」
- 「申し訳ない」と身を縮めるお婆さんに、俺がかける言葉と現場の葛藤
- 他人に依存してまで長生きしたくない、介護士だからこそ考える人生の幕引き
⭐️ 責任感の強いお婆さんは「申し訳ない…」といいながら早く終わることを待っている
あるお婆さんは、諦めたような顔でこう言う。
「私はもう、くねくねのナメクジのようになってしまった」
身体に力が入らず、歩行器なしでは歩けない。よく転ぶ。 「頭もパーになってしまった」と認知症の自分を自嘲する。
彼女は昔、6人兄弟の長女として、母親代わりに弟たちを必死で育て上げたという。
根がしっかり者で、誇り高く生きてきた人だからこそ、人に世話される今の自分に対して「申し訳ない、申し訳ない」と何度も頭を下げる。
俺は言葉をかける。
「ここにいれば、食べることも寝ることも困りませんよ。お風呂も入れますし、洗濯も掃除も料理も僕たちがやります。何を心配する必要があるんですか?」
「お金だって年金から自動引き落としです。長生きすればするほど、ここで気ままに暮らせるんですよ。もう悩むことなんてないんですから、気楽に日々を過ごしてください」
そう声をかけても、彼女の表情が晴れることはない。
誇り高く生きてきた人間にとって、誰かの手がないと生きていけない状態そのものが、耐えがたい苦痛なのだ。
言葉の端々から「早く終わらせたい…」という本音が滲み出ている。
認知症だから長期記憶が弱く、何度も何度も申し訳ない申し訳ないと思いながら、早く終ることを願いつつ同じことを悩み続けている。
⭐️ 老いる前に、どう生き、どう終わるか
そんな現実を毎日目の当たりにしていると、俺自身も「長生き」ということに対して深い恐怖と疑問を抱かざるを得ない。
人は誰しも、いつか自分の自由を失い、誰かに依存しなければ生きていけない時が来る。
誇りを失い、申し訳なさそうに身を縮めて生きていく姿を見ていると、「自分はそこまでして長生きしたいだろうか」と考えてしまう。
映画『ミリオンダラー・ベイビー』のヒロインが身体の自由を失ったように、誰かの手を借りなければ呼吸も排泄もできない「牢獄」に囚われるくらいなら、自らの意志で最後のゴングを鳴らす生き方に、どこか救いを感じてしまうのも本音だ。
醜く老いていく前に、自分の足で立っていられるうちに、人生の終わり方を自分で決めたい。
介護の現場に立つからこそ、俺は今日も「人生の最期」について、答えのない問いを抱え続けている。
