3年前のあの日。私はまだ実家にいました。
バイトが夕方からで遅寝を決め込んでいたさ中、揺れた瞬間、どんな事がその時起きたのかも分からず、ただ『今、私はこの地震では死なない』とだけ思い、寝直しました。
その私がおもっていた時、一体何人が死んでしまったでしょうか。死んだ、とすら実感できず。或いは、死ぬんだ、とじわじわと思わされながら。
そしてそのあと、どれだけ被災地が大変か、それを対岸の火事としてしか見ず、ただただ自分の生活にしか目を向けてきませんでした。
頑張ろう、日本。
それは唱えるだけでは何にもなりません。少なくとも私はそう考えてます。
私がそう唱えたところで、誰かを救えたでしょうか?
何不自由なく、生活出来ている私が。
何の手も差し出すことなく。
だから、何もしなかった代償として、私は何も言う権利はありません。
復興が遅れていると言われていても、怪しい業者が復興予算をちょろまかしていても、原発の廃炉が進んでいなくても。その作業でミスが出ていても。
彼らは少なくとも、立ち上がったのだから。
立ち上がりも、声を出すことも、手を差し伸べすらしなかった私は。
何を言えましょう、思えましょう。
お為ごかしでしかない、私の心はそう私に言います。
ただ、一日も早く。少しでも哀しみがなくなってほしい。
思うことすら許せない私の、何もできない想いです。
ただ、私を救うためだけの、誰かを想う言葉です。


